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鈴木史朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
すずき しろう
鈴木 史朗
プロフィール
本名 鈴木 史朗
愛称 史朗さん
出身地 日本の旗 日本 京都府京都市北区
生年月日 (1938-02-10) 1938年2月10日(86歳)
血液型 AB型
最終学歴 早稲田大学法学部
所属事務所 TBSスパークル
職歴 TBSアナウンサー、テレビディレクター、記者など(1962年 - 1998年)
活動期間 1962年 - 1970年1983年 -
(アナウンサーとして)
ジャンル 報道・バラエティ・ナレーション
公式サイト プロフィール
出演番組・活動
出演経歴JNNスポーツ&ニュース
さんまのSUPERからくりTV』(ご長寿早押しクイズ)
水戸黄門』(ナレーター)
など
備考
1970年7月より制作部・契約部(1974年2月)・報道局ニュース部(1975年8月)と異動を重ね、1989年1月にアナウンス部へ復帰(ただし、アナウンス部署を離れた間も番組に出演することはあった)。

鈴木 史朗(すずき しろう、1938年昭和13年〉2月10日 - )は、日本のフリーアナウンサータレント。元TBSアナウンサー。

本名は同じ[1][2]だが、TBS在職当時より冒頭表記[3][4]と「鈴木 史郎」表記[5][6][7][8][9][10][11]の両方が見られる。

来歴

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京都府京都市北区上賀茂神社社家神社を守護する武士の家系の出身[12]父親が日中貿易会社を設立し、幼少期は仕事関係から中国大陸で暮らす[12]第二次世界大戦の終戦後は、父親が無実のスパイ容疑をかけられ中国政府に拘束、強権的に財産没収を受ける[12]。そのため母親と妹2人の4人で日本へ引き揚げることとなり、北京から天津の港まで約120kmを徒歩で移動したという[12]佐世保に着いた時、黄砂で空も空気も黄色く濁っていた中国に比べて、日本は「こんなにもきれいな国があるのか。天国みたいだ」と思ったと回想している[13]

京都市立紫野高等学校在学時[14]は陸上競技部に所属し、三段跳で活躍。早稲田大学法学部[15]へ進学し、放送研究会に所属。会友には露木茂大沢悠里らがいた。早稲田大学法学部を卒業。

職務経歴

1962年4月にTBSへ入社し、アナウンス室に配属される(アナウンサー第8期生[16][17])。

1963年11月23日、宿直だった鈴木はジョン・F・ケネディ暗殺(ケネディ大統領暗殺事件)の第一報をケネディの死亡が確認された1時間後の午前5時のラジオニュースと5時10分からの担当番組「朝のひととき」で伝えた。

1966年1月よりラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部[17]、1967年11月よりラジオ局第一制作部兼アナウンサー研修室付[17]、1969年3月よりラジオ局放送部兼第一制作部兼第二制作部兼アナウンサー研修室付[17]にそれぞれ配属された。

1970年7月よりテレビ本部制作局制作部[17]に配属され、アナウンス職から離れる[18]。同制作部時代には番組制作ディレクターを務めた[15]。以後、1974年2月より編成局契約部[17][18]1975年8月より報道局ニュース部[17][18]1977年11月ラジオ本部ラジオ局ラジオニュース部[17]1980年4月テレビ本部報道局編集部兼ラジオニュース部[17]1989年1月より報道総局アナウンス部兼報道局編集部兼ラジオ総局情報制作局ニュース・情報センター部[17]、1991年5月よりアナウンスセンター兼報道局にそれぞれ配属された[17]

その間、報道局時代には社会部記者[2][19][18]を務めた。報道局時代の1983年には、アナウンス活動へ復帰している[20](同年にアナウンス部へ復帰したとする文献[2]もあるが、誤り[17])。のちにアナウンス副部長も務めた[20]。アナウンサーとしては、報道番組の他にバラエティにも出演[20]。『さんまのからくりTV』内コーナー『ご長寿早押しクイズ』の司会者として人気を得た[20]

土曜夕方(関東ローカル)・土曜夜・土曜深夜のテレビ・ラジオニュースを10年以上担当したが、多くのアナウンサーが担当していた朝・昼『JNNニュース』(『JNNおはようニュース&スポーツ』『JNNニュースコール』『JNN8時のニュース』『あなたにオンタイム』『JNNニュース11:30』)『JNNニュースコープ』『JNNニュースの森』『3時にあいましょう』内のニュースなどの担当経験はない。

1998年2月に60歳で、TBSを定年退職[16][17]後、翌月よりフリーアナウンサーとなる。その一方、歌手俳優モデルテレビゲームとあらゆる分野に挑戦、講演活動を中心に活躍している。1999年には『想春譜』で歌手デビューを果たし[2]、同曲は約6万枚の売上を記録した[21]2002年には舞台俳優として『新演歌の花道』へ初出演した[2]

2000年、主にTBSアナウンサーOBのマネジメントを行う事務所であるクリエイティブ・メディア・エージェンシー(CMA。2010年7月よりキャスト・プラスに商号変更、2019年1月にTBSスパークルへ吸収合併)と契約[22]

所属事務所

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  • シーエムエー(1999年当時[1]
  • クリエイティブ・メディア・エージェンシー→キャスト・プラス→TBSスパークル(2000年 - )

出演番組

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TBSアナウンサー時代

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テレビ番組(報道・情報・ドキュメント)

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報道情報番組のメインキャスターの経験はなく、もっぱら単独で土曜日夜のニュースを延べ14年間(日曜日夜は4年間)担当していた。

報道・情報番組

期間 番組名 役職 備考
同局アナウンス部復帰後 JNNフラッシュニュース[3] 土曜日担当キャスター 該当日に放送される特別番組『オールスター感謝祭』内で放送のときは、同番組のスタジオに来てニュースを伝えていた(『情報スペースJ』のPRのため下村健一が担当した1993年秋を除く)
1987年10月 1995年3月 TBSニュース 土曜日18:50枠での担当キャスター
1988年9月 JNNニュースデスク[23] 土曜日担当キャスター 1987年10月以前も当時のキャスターだった川戸恵子が不在の時は代役で担当していた
1988年10月 1990年9月 JNNニュース(最終版)[16]
1990年4月 1993年3月 JNNニュースの森 オープニングのヘッドラインナレーター 平日版のみでの担当
1993年4月 1997年3月 JNNスポーツ&ニュース[24] ニュースコーナー 土日とも、1997年4月からは岩井健浩に交代している
1993年10月 1996年5月 あなたにオンタイム 番組コーナー『史朗が行く』[25]担当

ドキュメンタリー番組

テレビ番組(音楽・クイズ・バラエティ)

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テレビ番組(ドラマ)

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テレビ番組(アニメ)

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テレビ番組(ノンジャンル)

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ラジオ番組

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フリー転身後

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テレビ番組

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CM

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著書

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  • 鈴木史朗の健康道場 ご長寿TVで超寿のコツ(小学館文庫)

ディスコグラフィ

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  • 想春譜(1999年8月25日、ガウスエンターテイメント)
  • 月と盃/生命ほとばしる(2001年6月27日、ポリドール)
  • 大江戸線音頭(2003年6月25日、日本クラウン)
  • 農家の唄(1999年6月21日、バップ。「所ジョージ&ダーツダックス」として発表)

ゲーム関連

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趣味

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趣味はコンピューターゲーム。TBSアナウンサー当時の1992年に発行された『TVスター名鑑』ですでに、趣味・特技欄に「スーパーファミコン」と記されていた[4]。『バイオハザード』シリーズの大ファンで全作所有しており、筋金入りの高得点プレーヤー。『バイオハザード4』の最高難易度は容易にクリアーでき、比較的難易度の高いおまけステージ(Wii版のTHE MERCENARIES)では20万5370点という高得点を記録している[37]。好きなバイオハザードの登場人物はジル・バレンタインで「彼女に惚れて、ずっとジルでプレーしている」と語っている[38]

同ゲームシリーズをクリアした加山雄三とは同好の士として情報交換している[15]。『からくりTV』ではスコアアタックモードをプレイしながら話した。GyaO特集『バイオハザード:ディジェネレーション 鈴木史朗レポート』では、本人のメモリーカード持参でニンテンドーゲームキューブ版『バイオ4』の腕前を披露している。2008年の東京ゲームショウで行われた「クリエイターズトークショウ」にて、一緒に司会を務めた有野晋哉に対して、「これからバイオハザード4を始めるなら、ナイフ攻撃が他の機種より0.5秒程速く出るWii版がオススメです」と発言し、有野を驚かせた[39]

また「ひとりカラオケ」も局アナ時代からの趣味のひとつである[40]。レパートリーは比較的古い時代の曲を中心とするが、『千の風になって』も好んで歌っている[40]。受付で一人での来店を告げるときは「ちょっと爽やかな気持ちになる」として「ひとりカラオケ」に対して気恥ずかしさは感じていないという。「ひとりカラオケ」の効能として、鈴木は孤高の境地を得たことを挙げており「ひとりで技を極める武士道にも通じます」と語っている[41]

エピソード

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  • 中学時代に走り高跳びをしたところ放置してあった砲丸に気付かず腹部を強打してしまい、当初は医者から虫下しの薬しかもらえずどんどん症状が悪化したため緊急手術をすることになった。その時の執刀医が元軍医で「貴様は日本男児か!」と鈴木が問われたところ「はい!日本男児であります!」と返答した。すると執刀医は「では痛くないな!」と鈴木を鎖でベッドに括り付け、塗る麻酔だけをして開腹手術を行った。鈴木は腸が引っぱり出される感触も分かり、あまりの痛みに絶叫したものの「日本男児なら我慢しろ!」とビンタされ気を失ってしまった[42]
  • 入社当初は身長が高く目立っていたという理由からいじめに遭っており、当時は軍隊出身の上司も多くいじめも軍隊式の酷いものであったという。また、当時の部長から軍隊にいた頃しごかれた軍曹に鈴木がよく似ていたという理由から目を付けられており、当時の泊まり番は週に1回までと決まっていたが鈴木だけ週2回やらされたり、アナウンスの仕事を希望していたが別の部署に飛ばされたりしたといった扱いも受けた。さらにワイドショーで「タバコの害」について大々的に取り上げたところ視聴者からの評判は良く反響は大きかったものの、当時のテレビ局員は大半が喫煙者であったため社内では猛反発が起こり社内中から嫌われてしまい、再び別の部署へ飛ばされた[42]
  • ゲームを趣味としていることから反射神経が鍛えられ、自動車免許更新時の実習で高得点を出し教官から「あまりに反応が早すぎて逆に危険」と注意を受けるほどだった[43]
  • 月刊誌『WiLL』2011年4月号に南京大虐殺否定論を寄稿した。
  • 名探偵コナンに同名で、自身をモチーフとしたキャラクターが登場している(名探偵コナンの登場人物#鈴木史朗を参照)。

脚注

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  1. ^ a b 参考:『1999年版 日本タレント名鑑』(1999年4月21日、VIPタイムズ社発行)ISSN 1343-8263
  2. ^ a b c d e 2005年当時、スポニチアネックス内芸能タレント名鑑に掲載されたプロフィール - インターネットアーカイブ2005年4月5日付保存キャッシュ
  3. ^ a b c 週刊読売』1985年10月13日P139に掲載の、キャスター・アナウンサー名鑑。
  4. ^ a b c d TVスター名鑑』(『TVガイド』臨時増刊1992年10月15日号)P149
  5. ^ a b TBSラジオ番組表(昭和41年=1966年4月21日現在)…PDFファイル アーカイブ 2012年2月18日 - ウェイバックマシンTBSラジオ開局60周年記念特設サイト『ラジオ東京スピリッツ』 アーカイブ 2013年12月19日 - ウェイバックマシンより)。日曜12:10 - 13:00の『今週のベストテン』を参照。「湯川れい子」「鈴木史郎アナウンサー」の記述あり。
  6. ^ a b TBSラジオ番組表(昭和43年=1968年4月現在)…PDFファイル アーカイブ 2012年2月18日 - ウェイバックマシンTBSラジオ開局60周年記念特設サイト『ラジオ東京スピリッツ』 アーカイブ 2013年12月19日 - ウェイバックマシンより)。月 - 土曜15:20 - 15:50の『マツダ・ミュージック・ラリー』(「八代英太」「鈴木史郎アナウンサー」の記述あり)および日曜15:00 - 15:30の『マツダミュージック・ラリー』(「鈴木史郎」の記述あり)をそれぞれ参照。
  7. ^ 『TBS50年史』各種資料(資料編内掲載アナウンサーの活動記録・付録DVD「ハイブリッド検索編」に収録のPDF文書『TBSアナウンサーの動き』、同DVDに収録のラジオ番組・テレビ番組出演者別リスト)より参照。なお、先述DVDにPDFファイルとして再録された、1976年12月14日(報道局ニュース部社会班在職当時)発行の社内報『TBS社報』NO.437掲載記事『TBS紳士録』最終回(6回目)11ページ、1991年6月(アナウンスセンター兼報道総局在職当時)発行の社内報掲載記事『all TBS紳士・淑女録』第10回33ページ(アナウンスセンターの巻)でもそれぞれこの表記で紹介された。
  8. ^ TBS在籍当時のホームページ内プロフィール(外部リンク参照)
  9. ^ 『バイオ』15周年に、紗綾さん&鈴木史郎さん登場【TGS 2011】 - デジタル - 日経トレンディネット(2011年9月18日)
  10. ^ 外部リンク(タブ・ハウスのホームページ内インタビューのプロフィール)。
  11. ^ 日本民間放送連盟編『民間放送全職員人名簿 各年度版』(岩崎放送出版社)
  12. ^ a b c d 週刊ポスト2013年11月8・15日号「鈴木史朗氏『国のためにとサムライ母に厳しく育てられた(2013年11月7日)』 NEWSポストセブン 小学館 2015年8月17日閲覧
  13. ^ 鈴木史朗「こんなにもきれいな国、天国みたいだ」、WiLL (雑誌) 2015年7月号
  14. ^ 国本ようこ (2020年1月7日). “わたしの母校 紫野高校/1 放送部、引っ張る気持ちで アナウンサー 鈴木史朗さん /大阪”. 毎日新聞. 2021年6月26日閲覧。
  15. ^ a b c 外部リンク(タブハウス)を参照。
  16. ^ a b c d e 『TBS50年史』資料編P237を参照。
  17. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『TBSアナウンサーの動き』P15
  18. ^ a b c d 1976年12月14日発行の社内報『TBS社報』NO.437掲載記事『TBS紳士録』最終回(6回目)11ページに掲載された鈴木の紹介文(報道局ニュース部の一員として掲載)より、「鈴木史郎。アナウンサー生活八年。テレビ制作から契約部を経て社会班に。」との記述あり。
  19. ^ 『元気の源泉』NO.37 アーカイブ 2014年5月13日 - ウェイバックマシン(外部リンク。TBSホームページ内同名番組公式サイト)より、社会部記者を務めたことが記されている。
  20. ^ a b c d e 『テレビ・タレント人名事典』より、「鈴木史朗」の項目を参照。
  21. ^ あの人は今こうしている 元TBSアナ鈴木史朗さんは今…ゲームの腕が「神の領域」に日刊ゲンダイ、2014年7月28日。
  22. ^ 「(株)キャスト・プラスの情報」『2013年度版芸能界ベストセレクション』p.92。
  23. ^ 『TBSアナウンサーの動き』P15では「JNNニュースデスク(86)」と明記。
  24. ^ 『TBSアナウンサーの動き』P15では「スポーツ&ニュース(93)」と明記。
  25. ^ 『TBSアナウンサーの動き』P15では「あなたにオンタイム〜史朗が行く〜」と明記。
  26. ^ 『TBSアナウンサーの動き』P15では「世界NO1クイズ」と明記。
  27. ^ 『TBSアナウンサーの動き』P15では「当たって25%」と明記。
  28. ^ TBS在職当時のウェブサイト内プロフィールでは「サンマのカラクリテレビ」、『TBS50年史』資料編P237では「さんまのカラクリTV」、『TBSアナウンサーの動き』P15では「サンマのカラクリTV」とそれぞれ表記。
  29. ^ 鈴木史朗 - オリコンTV出演情報
  30. ^ 『TBSアナウンサーの動き』P15では「アッコにおまかせ」と明記。
  31. ^ 『TVスター名鑑』(『TVガイド』臨時増刊1992年10月15日号)P149のプロフィールでは、「金曜TVの星」と表記。
  32. ^ 『TBS50年史』資料編P237では「ミュージック・ラリー(1968)」、『TBSアナウンサーの動き』P15では「ミュージック・ラリー(68)」と明記。
  33. ^ 『TBSアナウンサーの動き』P15では「永六輔その新世界(97)」と明記。
  34. ^ 鈴木史朗さんらがゲストのXbox LIVE パーク「バイオハザード5 デイ」”. 4Gamer.net (2009年3月12日). 2011年6月4日閲覧。
  35. ^ 鈴木史朗アナ71歳の「神業」 「バイオハザード」攻略テク”. J-CASTニュース (2010年1月20日). 2011年6月4日閲覧。
  36. ^ CAPCOM:バイオハザード リベレーションズ 公式サイト|LOG BOOK 2012.01.26『祝・発売!』
  37. ^ 元TBSアナ鈴木史朗さんは今…ゲームの腕が「神の領域」に”. yahoo!ニュース (2014年7月28日). 2014年7月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月29日閲覧。
  38. ^ バカタール加藤のアノ人に聞きたい!”. ファミ通 (2009年). 2011年6月4日閲覧。
  39. ^ 有名クリエイターの生の声をお届け! 大盛況の「クリエイターズトークショウ」”. 電撃オンライン (2008年10月12日). 2011年6月4日閲覧。
  40. ^ a b 鈴木史朗「ひとりカラオケで孤高の境地を知る」『週刊朝日』114巻18号、朝日新聞出版2009年4月24日、40頁。
  41. ^ 鈴木史朗「ひとりカラオケで孤高の境地を知る」『週刊朝日』114巻18号。
  42. ^ a b ヨッピー. “バイオハザードの神・鈴木史朗さんの「バイオ沼」を掘ってみたら、とんでもない壮大な人生の物語に行き着いた話”. 2020年10月2日閲覧。
  43. ^ 異様な高得点を叩き出すシルバーゲーマーとして若者たちのリスペクトを一身に集めている” (2011年2月28日). 2011年7月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年3月5日閲覧。

参考文献

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  • TBS50年史(2002年1月、東京放送編・発行) - 国立国会図書館の所蔵情報
    • 資料編
    • DVD-ROM『ハイブリッド検索編』
      • 『TBSアナウンサーの動き』(ラジオ東京→TBSの歴代アナウンサーの記録を、同社の歴史とともにまとめた文書)
      • 『TBS社報』再録
        • 『TBS紳士録』最終回(1976年12月14日発行『TBS社報』NO.437より、P8 - 15に掲載)の再録
        • 『all TBS 紳士・淑女録』第10回(1992年6月25日発行『TBS社報』に掲載)の再録
  • 『テレビ・タレント人名事典』第6版(2004年、日外アソシエーツ発行・紀伊國屋書店発売) ISBN 4816918523
  • 2013年度版芸能界ベストセレクション(『oricon CREATEシリーズ』No.13。2012年、オリコン・エンタテインメントISBN 4871311120

外部リンク

[編集]
所属事務所によるプロフィール
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