木下荘平
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木下 荘平(莊平、きのした しょうへい、1840年(天保11年8月[1][2])- 1906年(明治39年)5月14日[1])は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員、鳥取県会議長。
経歴
[編集]因幡国八上郡布袋村[3](鳥取県[1]八上郡三保村[2]、河原村[4]、八頭郡河原村、河原町[4]を経て現鳥取市河原町)で、代々大庄屋を務めた家に生まれた[3]。鳥取の藩儒・正墻適処(薫)に師事し和漢学を修めた[2][3]。
八上郡農兵組頭、智頭郡農兵組頭、戸長、大区長、学区取締、准十二等出仕、八束郡長などを歴任[1][2][4]。1881年(明治14年)鳥取県が再置され、同年11月、鳥取県会議員に当選し、同常置委員、同議長(第3、4、7代)を務めた[1][2][3][4]。
岡崎平内の辞職に伴い1891年(明治24年)9月に実施された第1回衆議院議員総選挙鳥取県第1区補欠選挙で当選し[5]、以後、第2回総選挙でも再選され[6]、衆議院議員に連続2期在任した[1][2]。
実業界では、1888年(明治21年)松江に関西土木会社を設立して社長に就任し、島根県の道路事業を請負った[1][2][3][4]。また扇山社を設立して、楮(コウゾ)、三椏(ミツマタ)の栽培を行った[1][2][4]。
国政選挙歴
[編集]- 第1回衆議院議員総選挙(鳥取県第1区、1890年7月、無所属)次点落選[6]
- 第1回衆議院議員総選挙補欠選挙(鳥取県第1区、1891年8月)当選[5]。
- 第2回衆議院議員総選挙(鳥取県第1区、1892年2月、独立倶楽部)当選[6]
- 第3回衆議院議員総選挙(鳥取県第1区、1894年3月、国民協会)次点落選[6]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 木村安蔵 (節堂) 『因伯名士伝 : 一名・候補者列伝』木村安蔵、1890年。
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 衆議院事務局『第一回乃至第十九回総選挙衆議院議員当選回数調』1936年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 『鳥取県大百科事典』新日本海新聞社、1984年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。