中村屋
新宿本店(2014年10月リニューアル) | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 |
大証1部(廃止) 2204 2013年7月12日上場廃止 |
本社所在地 |
日本 〒160-0022 東京都新宿区新宿三丁目26番13号 北緯35度41分30.3秒 東経139度42分7.9秒 / 北緯35.691750度 東経139.702194度座標: 北緯35度41分30.3秒 東経139度42分7.9秒 / 北緯35.691750度 東経139.702194度 |
設立 | 1923年(大正12年)4月1日 |
業種 | 食料品 |
法人番号 | 6011101015442 |
事業内容 |
各種菓子およびパンの製造ならびに販売 飲食店の営業 不動産の賃貸、売買、管理および仲介 他 |
代表者 | 鈴木達也(代表取締役社長) |
資本金 |
74億6940万2000円 (2021年3月31日現在)[2] |
発行済株式総数 |
597万6205株 (2021年3月31日現在)[2] |
売上高 |
単独: 319億5039万5000円 (2021年3月期)[2] |
営業利益 |
単独: △16億1235万2000円 (2021年3月期)[2] |
経常利益 |
単独: △13億7839万2000円 (2021年3月期)[2] |
純利益 |
単独: △2億7341万8000円 (2021年3月期)[2] |
純資産 |
単独: 260億1717万4000円 (2021年3月31日現在)[2] |
総資産 |
単独: 423億5617万6000円 (2021年3月31日現在)[2] |
従業員数 |
単独: 736人 (2021年3月31日現在)[2] |
決算期 | 3月31日 |
会計監査人 | Moore至誠監査法人[2] |
主要株主 |
中村屋取引先持株会 10.9% みずほ銀行 4.9% 日本マスタートラスト信託銀行(信託口) 4.7% 三井不動産 3.0% 日本カストディ銀行(信託口) 2.4% ニップン 2.2% 日東富士製粉 2.1% 三菱UFJ銀行 1.9% 豊通食料 1.8% 中村屋従業員持株会 1.6% (2021年3月31日現在)[2] |
関係する人物 |
相馬愛蔵 相馬黒光 ラース・ビハーリー・ボース 長沼誠(元社長) |
外部リンク |
www |
特記事項:98期(2019年3月期)より単体決算 |
株式会社中村屋(なかむらや、英: NAKAMURAYA CO.,LTD.[3])は、東京都新宿区に本社を置く食品メーカーである。
概要
[編集]一般には「新宿中村屋」の名称で知られる。和菓子、洋菓子、菓子パン、中華まん、レトルト・缶詰のカレーなどを製造販売しているほか、いわゆるデパ地下やショッピングセンターなどで菓子店と(直営店15店)、レストラン(直営店10店)を営業している。また、関東で販売される中華まんのシェアトップを占めており[4]、コンビニエンスストア向け業務用食品にも商品を持つ。2019年(平成31年)3月期の売上比率は、菓子事業76%、食品事業22.5%、賃貸事業1.5%である[5]。
特色
[編集]現在日本で食べられている中華まんは、1925年(大正14年)から1927年(昭和2年)発売日まで改良を加えられて、日本人の口に合うように工夫されたものである[6][7]。また、クリームパンを日本で初めて販売しており[8]、カレーパンとともに有名である[9]。
沿革
[編集]- 1901年(明治34年)12月 - 現文京区本郷の東京大学正門前にあったパン販売店中村屋を相馬愛蔵・良夫妻が買い取り[10]、個人経営で創業。夫婦ともに学校出であったことから「書生パン屋」と呼ばれて繁昌した[11]。
- 1909年(明治42年)9月 - 新宿(現在の本店)に移転し[10]各種菓子や缶詰などの製造販売も始める。
- 1923年(大正12年)4月 - 株式会社に改組[12]。
- 1927年(昭和2年)6月 - 喫茶部を開設、インド人のラース・ビハーリー・ボースから提案を受けたカリーライスとボルシチを売り出す[13]。
- 1948年(昭和23年)
- 8月 - 多摩川食品株式会社を吸収合併。
- 12月 - 専属の和菓子工場、黒光製菓株式会社を設立。
- 1951年(昭和26年)9月 - 渋谷区笹塚に笹塚工場(のち東京工場に改称、現・東京事業所)を新設[13]。
- 1957年(昭和32年)3月14日 - 東京証券取引所上場[1][13]。
- 1959年(昭和34年)10月 - エース食品株式会社に資本参加し、商号を株式会社中村屋食品へ変更する。
- 1968年(昭和43年)11月 - 神奈川県海老名市に神奈川工場を新設[13]。
- 1973年(昭和48年)9月 - 黒光製菓株式会社を子会社化[13]。
- 1977年(昭和52年)10月 - 株式会社ハピーモアを子会社化[13]。
- 1989年(平成元年)9月 - 埼玉県南埼玉郡菖蒲町に埼玉工場を新設[14]。
- 1991年(平成3年)12月 - 株式会社エヌエーシーを子会社化[14]。
- 1993年(平成5年)2月 - エヌエーシーが笹塚NAビル竣工。
- 1997年(平成9年)4月 - 中村屋食品とハピーモアが合併。
- 1998年(平成10年)
- 2001年(平成13年)9月 - 東京工場での生産を終了[14]。東京事業所とする。
- 2005年(平成17年)10月 - エヌエーシーシステムが株式会社エヌエーシービルに商号変更して新設の株式会社エヌエーシーシステムに事業譲渡。エヌエーシービルは中村屋に合併。
- 2011年(平成23年)10月 - 本店が建替え工事のために休業[14]。翌月、隣接する新宿高野本店内に仮店舗を開設。
- 2014年(平成26年)
- 2016年(平成28年)10月28日 - 生産能力増強のため、埼玉県入間市の大妻女子大学狭山台キャンパス跡地を取得することを公表した[16]。
- 2017年(平成29年)
- 2018年(平成30年)7月 - 埼玉県入間市に武蔵工場を新設[14][19]。
- 2019年(平成31年)
- 2020年(令和2年)
- 2022年(令和4年)4月 - 東京証券取引所の市場区分の見直しにより市場第一部からプライム市場へ移行。
- 2023年(令和5年)10月 - 東京証券取引所における市場区分をプライム市場からスタンダード市場へ変更。
相馬愛蔵(創業者)
[編集]1901年(明治34年)の創業以来、妻の相馬黒光とともに独創的なパン・食品を作り続けた。1904年(明治37年)にはシュークリームをヒントに現在もポピュラーな菓子パンであるクリームパンを考案した[8]。1927年(昭和2年)には現在の中華まんのもととなる「天下一品支那饅頭」を発売[6]。
1918年(大正7年)に娘がインドの独立運動家のラス・ビハリ・ボースと結婚をしたことをきっかけに、ボースから米(白目米)や鳥(軍鶏)にまでこだわった本格的なカリーの調理を学び、1927年(昭和2年)6月12日に当時の日本では珍しい純インド式カリーを販売している。このカリーメニューだけは原料の変更時などに社長の決裁が必要とされ、特別な存在となっている[25]。本店のカリーのキャッチフレーズ「恋と革命の味」はここから生まれ、引き継がれている。また中村屋では発売開始日の6月12日を「恋と革命のインドカリーの日」と定めている[26]。
フランスパンを日本で最初に発売した京都の進々堂創業者の続木斎や[27]、山﨑製パン創業者の飯島籐十郎も相馬のもとで勤務していた。
新宿本店には愛蔵・良の人柄に惹かれた文化人が盛んに来店していた。その中にロシアの童話作家ワシリー・エロシェンコもおり、彼がレシピを伝えたボルシチも、前述のカリーと並び本店レストランの開店以来の人気メニューである[28]。ただし、このボルシチはテーブルビートの代わりにトマトを使用したものである。また、エロシェンコが着用していたロシアの民族服ルパシカが店員の制服として採用されている[12]。
不祥事・労働問題
[編集]2021年(令和3年)12月17日、中村屋と同社の埼玉工場管理課の係長が入管難民法違反(不法就労助長)の容疑で警視庁により書類送検された。警視庁組織犯罪対策1課によると、容疑事実は、さいたま市の人材派遣会社から派遣されたネパール人6人を資格外の活動に該当すると認識しつつも2018年(平成30年)11月から約2年半にわたり埼玉工場の作業員として就労させたものである。ベトナム人なども含めて少なくとも40人を不法就労させた疑いも出ている。この事態について、鈴木達也社長は警視庁の任意の調べにおいて、「考えが甘かった」として業務体制や組織対応の見直しを行う姿勢を示した[29][30][31][32][33]。
レストラン・販売店
[編集]- 新宿中村屋ビル
- マンナ - レストラン&カフェ
- ボンナ - スイーツ&デリカ
- グランナ - カジュアルダイニング
- オリーブハウス - 南欧風レストラン・8店
- 洋食レストラン 新宿中村屋
- 恋とスパイス 新宿中村屋
- 販売店 - 東京・7店、神奈川・4店、埼玉・1店、千葉・1店
(2020年〈令和2年〉10月28日現在)
美術館
[編集]- 新宿中村屋ビル
- 『中村屋サロン美術館』(ビル3F) - 相馬黒光がかつて主催していた文芸サロン『中村屋サロン』にちなみ命名された美術館。
主な事業所
[編集]- 本店
- 新宿駅東口にある。本店には商品の販売のほか、インドカリーやフレンチ、中華料理などを供するレストランが入っている。建て替えのため、2011年(平成23年)11月10日から2014年(平成26年)までは隣接する新宿高野の本店ビル内に設けた仮店舗で営業した。
閉鎖
[編集]- 東京事業所(東京都渋谷区笹塚) - 1951年に笹塚工場が落成され、2001年に工場としては終了し東京事業所となった[34]。2022年1月に解体工事が始まり稼働開始から70年の歴史に幕を閉じた。京王線と京王新線の分かれる笹塚陸橋から見る事が出来た。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 笹塚NAビルは、その後2020年9月1日に「Daiwa笹塚タワー」と改名された[18]
出典
[編集]- ^ a b 『株価20年 昭和33年版』 東洋経済新報社、1958年3月13日。
- ^ a b c d e f g h i j k 株式会社中村屋『第100期(2020年4月1日 - 2021年3月31日)有価証券報告書』(レポート)2021年6月30日。
- ^ 株式会社中村屋 定款 第1章第1条
- ^ 株式会社中村屋第86期報告書
- ^ 第98期有価証券報告書(中村屋)2020年6月20日閲覧。
- ^ a b “中華まん│商品の歴史│新宿中村屋”. 新宿中村屋. 2022年1月5日閲覧。
- ^ グリコ栄養食品 中華まんの歴史 2020年5月22日閲覧。
- ^ a b “クリームパン│商品の歴史│新宿中村屋”. 新宿中村屋. 2022年1月5日閲覧。
- ^ 企業探求 新宿中村屋
- ^ a b “中村屋の歴史 明治(創業前史~)│知る・楽しむ│新宿中村屋”. 新宿中村屋. 2022年1月5日閲覧。
- ^ 『夫婦成功美談 : 男女修養』東京実用女学校編 (東京実用女学校出版部, 1909)
- ^ a b “中村屋の歴史 大正│知る・楽しむ│新宿中村屋”. 新宿中村屋. 2022年1月5日閲覧。
- ^ a b c d e f “中村屋の歴史 昭和│知る・楽しむ│新宿中村屋”. 新宿中村屋. 2022年1月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j “中村屋の歴史 平成│知る・楽しむ│新宿中村屋”. 新宿中村屋. 2022年1月5日閲覧。
- ^ 中村屋 新宿中村屋ビル
- ^ 中村屋、生産力増強へ入間市の土地8.3万m2取得
- ^ 信託受益権化による固定資産の譲渡並びに特別利益の発生に関するお知らせ(平成28年12月20日) (PDF) (株式会社中村屋)2020年5月21日閲覧。
- ^ 運用資産の名称変更に関するお知らせ(2019年8月30日) (PDF) (大和証券オフィス投資法人)2020年8月3日閲覧。
- ^ 『「中村屋 武蔵工場」竣工について』(PDF)(プレスリリース)中村屋、2018年7月18日 。2019年5月1日閲覧。
- ^ 『埼玉県入間市に日本初となる中華まん工場の常設見学施設が誕生 1月25日(金)『中華まんミュージアム』オープン!中華まんのおいしさを五感で楽しむ体験型ミュージアム』(PDF)(プレスリリース)中村屋、2019年1月14日 。2019年5月1日閲覧。
- ^ 連結子会社の異動に関するお知らせ(平成30年12月20日) (PDF) (株式会社中村屋)2020年5月21日閲覧
- ^ 信託受益権化による固定資産譲渡並びに特別利益の発生に関するお知らせ(2020年3月23日) (PDF) (株式会社中村屋)2020年5月21日閲覧。
- ^ 固定資産の譲渡並びに特別利益の発生に関するお知らせ(2020年7月30日) (PDF) (株式会社中村屋)2020年7月31日閲覧。
- ^ “中村不折なかむら ふせつ”. 創業者ゆかりの人々、歴史・おいしさの秘密. 新宿中村屋. 2014年11月12日閲覧。
- ^ “新宿中村屋元店長が個展 売り上げの一部をインドに寄付「恩返しを」”. 朝日新聞. (2021年11月25日). オリジナルの2021年12月1日時点におけるアーカイブ。 2021年12月28日閲覧。
- ^ “新宿中村屋「恋と革命のインドカリーの日」キャンペーン”. www.nakamuraya.co.jp. 2022年1月5日閲覧。
- ^ “続木斉物語”. 進々堂. 2024年3月14日閲覧。
- ^ “ボルシチ”. 新宿中村屋. 2024年3月14日閲覧。
- ^ “カレーの中村屋、「人手不足」でネパール人を不法就労させた疑い”. 朝日新聞. (2021年12月17日). オリジナルの2021年12月26日時点におけるアーカイブ。 2021年12月28日閲覧。
- ^ “食品メーカー中村屋 ネパール人の不法就労助長疑いで書類送検”. NHK. (2021年12月17日). オリジナルの2021年12月17日時点におけるアーカイブ。 2021年12月28日閲覧。
- ^ “「通訳」資格のネパール人に単純労働、カレーの「中村屋」を書類送検”. 読売新聞. (2021年12月18日). オリジナルの2021年12月18日時点におけるアーカイブ。 2021年12月28日閲覧。
- ^ “カレーの中村屋を書類送検 外国人を工場で不法就労させた疑い”. 毎日新聞. (2021年12月17日). オリジナルの2021年12月17日時点におけるアーカイブ。 2021年12月28日閲覧。
- ^ “中村屋と工場係長を書類送検、資格外ネパール人不法就労助長容疑”. 産経新聞. (2021年12月17日). オリジナルの2021年12月17日時点におけるアーカイブ。 2021年12月28日閲覧。
- ^ “「笹塚駅」南口で再開発が進む、「中村屋」跡地に延べ7万7400平米の複合施設誕生か”. 楽待 (2024年1月4日). 2024年3月14日閲覧。
参考文献
[編集]- 関口保 『ピロシキとチョコレート - 新宿中村屋・菓子職人物語』 鱒書房、1994年、ISBN 4895980200、257頁。
関連項目
[編集]- 全国和菓子協会
- 足立龍雄
- 荻原碌山
- 中村彝
- 中村不折 - 看板を作成。
- あしたの、喜多善男〜世界一不運な男の、奇跡の11日間〜 作品中に登場する。
- パンとあこがれ - 1969年放送の日本のテレビドラマ(TBS「ポーラテレビ小説」第2作)。新宿中村屋創業者の相馬愛蔵・黒光夫妻の半生を描いた作品。
- なつぞら - 2019年放送のNHK連続テレビ小説。主人公が一時期住み込みで働いた新宿の飲食店「川村屋」は、当店がモデルとされる。