藤原実秀 (参議)
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時代 | 鎌倉時代後期 |
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生誕 | 文永8年(1271年) |
死没 | 暦応2年11月25日(1339年12月26日) |
官位 | 参議、従二位 |
主君 | 亀山天皇→後宇多天皇→伏見天皇→後伏見天皇→後二条天皇→花園天皇→後醍醐天皇→光厳天皇→後醍醐天皇→光明天皇 |
氏族 | 西園寺家庶流三条家(清水谷流) |
父母 |
父:三条公兼 母:月輪経家女 |
兄弟 | 女子(永福門院大納言)、女子、実秀、実印、長嗣 |
妻 | 不明 |
子 | 季賢、公広 |
三条 実秀(さんじょう さねひで)は、鎌倉時代後期から南北朝時代 (日本)にかけての公卿。参議、従二位。父は非参議正二位三条公兼、母は正二位左中将月輪経家女。
経歴
[編集]以下、『公卿補任』及び『尊卑分脈』に基づいて記述する。
- 弘安4年(1281年)1月5日、従五位下に叙される。
- 弘安8年(1285年)1月5日、従五位上に昇叙。
- 弘安11年(1288年)2月10日、侍従に任ぜられる。
- 正応2年(1289年)3月11日、正五位下に昇叙。
- 正応4年(1291年)12月21日、右少将に任ぜられる。
- 永仁4年(1296年)1月5日、従四位上に昇叙。
- 永仁5年(1297年)10月25日、右少将に還任。
- 永仁7年(1299年)3月24日、正四位下に昇叙。
- 嘉元4年(1306年)11月27日、右中将に転任。
- 延慶4年(1311年)3月30日、備前権介を兼ねる。
- 応長元年(1311年)8月7日、従三位に叙される。
- 正和2年(1312年)10月11日、弾正大弼に任ぜられる[1]。
- 正和5年(1316年)1月5日、正三位に昇叙。同年12月14日、弾正大弼を止める。
- 文保2年(1318年)2月11日、参議に任ぜられる。同年4月14日、参議を辞す。同年5月4日、本座を許される。
- 正慶元年(1332年)1月5日、従二位に昇叙。
- 正慶2年(1333年)5月17日、後醍醐天皇重祚により正三位に戻される。
- 建武3年(1336年)従二位に復位されたか[2]。
- 暦応2年(1339年)11月25日、薨去。