コンテンツにスキップ

環渓惟一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
環渓惟一
嘉泰2年 - 至元18年9月4日
1202年 - 1281年10月17日
生地 資州盤石県墨池
宗派 臨済宗破庵派
無準師範
弟子 鏡堂覚円
テンプレートを表示

環渓惟一(かんけい いいち)は、宋代から元代に活動した僧匠である。破庵下3世。

生涯

[編集]

嘉泰2年(1202年)、資州盤石県墨池で誕生する。俗姓は賈氏。梵業寺で童子となり、嘉定14年(1221年)に出家、嘉定16年(1223年)に成都府甘露寺で受戒した。諸方を行脚した後、阿育王山無準師範に就いてその侍香(用務を行い、法要で香台を持つ係)となる。師に従って径山に移って知蔵となるが、一時金陵の痴絶道冲の許に参禅する。その後無準師範の許に戻って法を嗣いだ。

嗣法の後淳祐6年(1246年)、建寧府瑞巌寺の住持となったのを始めとして、臨江軍恵力寺、隆興府泐潭宝峰寺、黄龍山崇恩寺、建昌軍資聖寺、瑞州黄檗山報恩光孝寺、袁州仰山太平興国寺、福州雪峰山崇聖寺ならびに慶元府天童山景徳寺の住持を歴任した。

至元18年9月4日1281年10月17日)示寂。その語録として環渓惟一禅師語録が編まれた。法嗣は鏡堂覚円が知られている。

参考文献

[編集]
  • 禅学大辞典編纂所 編 『新版 禅学大辞典』pp.1231,1232 1985年
先代
無準師範
臨済宗破庵派
1249-1281
次代
鏡堂覚円
pFad - Phonifier reborn

Pfad - The Proxy pFad of © 2024 Garber Painting. All rights reserved.

Note: This service is not intended for secure transactions such as banking, social media, email, or purchasing. Use at your own risk. We assume no liability whatsoever for broken pages.


Alternative Proxies:

Alternative Proxy

pFad Proxy

pFad v3 Proxy

pFad v4 Proxy