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樋口善右衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
樋口善右衛門
ひぐち ぜんうえもん
生年月日 1876年3月7日
出生地 日本の旗 日本 愛知県春日井郡小幡村
(現愛知県名古屋市守山区小幡)
没年月日 (1948-09-24) 1948年9月24日(72歳没)
前職 火薬類販売業
所属政党 (立憲政友会→)
(翼賛政治会→)
日本進歩党

選挙区 愛知県第2選挙区
当選回数 2回
在任期間 1937年 - 1945年12月18日



守山町会議員
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樋口 善右衛門(善右衞門、ひぐち ぜんうえもん、1876年明治9年)3月7日[1] - 1948年昭和23年)9月24日[2])は、明治から昭和前期の農業経営者、実業家政治家衆議院議員愛知県東春日井郡守山町長。

経歴

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愛知県[2]春日井郡小幡村[3]東春日井郡小幡村、守山町[4][5]守山市を経て現名古屋市守山区小幡)で、滝本善次郎の二男[3][注釈 1]として生まれる。名古屋[3]の樋口半右衛門の養子となり[6]、1881年(明治14年)家督を相続したが[6]、1898年(明治31年)に分家した[3]

農業、蚕業、畜産業を経営[3]。1903年(明治36年)製薬業、売薬業を創業し[2][3][6]、1908年(明治41年)に火薬類の販売を営む[3]

堀尾茂助大島宇吉らの影響で政界に進み[3]、1916年(大正5年)守山町会議員[3][4][5]、1923年(大正12年)愛知県会議員に選出され[3][4][5]、守山町長も務めた[2][6]

1937年(昭和)12月、第20回衆議院議員総選挙で愛知県第2区から立憲政友会公認で出馬して初当選[3][5][7]。1942年(昭和17年)4月の第21回総選挙翼賛政治体制協議会の推薦を受け愛知県第2区から出馬して再選され[8]、衆議院議員に連続2期在任した[2]。この間、翼賛政治会政調農林委員[4]、東春日井郡農会長などを務めた[2][6]。戦後、日本進歩党に所属し[2]、その後、公職追放となった[9]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『人事興信録 第14版 上』ヒ10頁では、滝本善三郎の三男。

出典

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  1. ^ 衆議院『第八十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1942年、14頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』530頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j k 『愛知県姓氏歴史人物大辞典』537頁。
  4. ^ a b c d 『翼賛議員銘鑑』537頁。
  5. ^ a b c d 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』374頁。
  6. ^ a b c d e 『人事興信録 第14版 上』ヒ10頁。
  7. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第20回』197頁。
  8. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第21回』299頁。
  9. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、一般該当者名簿111頁。公職追放の該当事項は「推薦議員」。

参考文献

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  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第20回』衆議院事務局、1937年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第21回』衆議院事務局、1943年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 愛知県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会『愛知県姓氏歴史人物大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典23、角川書店、1991年。
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