大池鎌次郎
表示
大池 鎌次郎(おおいけ かまじろう、1869年2月7日(明治元年12月26日[1])- 1959年(昭和34年)5月1日[2])は、明治から昭和期の実業家・政治家。衆議院議員、愛知県会議長。
経歴
[編集]尾張国丹羽郡古知野村(愛知県[2]丹羽郡古知野町[3][4]を経て現江南市古知野町)で、代々酒造業を営む[3][5]大池家当主・大池與平の息子として生まれる[5]。
愛知県生糸製造同業組合組長、興益銀行取締役、愛知製絹社長、丹羽郡酒造家組合盛昌組組長、古知野銀行取締役などを務めた[2][3][4][5]。1916年(大正5年)10月、名古屋株式取引所一般取引員となり力商店を開設した[3]。
1893年(明治26年)以降、古知野町会議員、学務委員、学校組合議員、勧業諮問会員、丹羽郡会議員、同参事会員、同徴兵参事員、道路組合会議員などを務めた[2][4][5]。1896年(明治29年)10月、愛知県会議員に選出された[3][5]。1903年(明治36年)3月、第8回衆議院議員総選挙(愛知県郡部、立憲政友会)で当選し[3][6]、衆議院議員に1期在任した[2][4]。1911年(明治44年)愛知県会議員に再選され、1915年(大正4年)にも再選され、同議長を務め県会議員に通算15年在任した[3]。
国政選挙歴
[編集]- 第7回衆議院議員総選挙(愛知県郡部、1902年8月、立憲政友会)落選[6]
- 第8回衆議院議員総選挙(愛知県郡部、1903年3月、立憲政友会)当選[6]
- 第9回衆議院議員総選挙(愛知県郡部、1904年3月、立憲政友会)落選[6]
- 第14回衆議院議員総選挙(愛知県第6区、1920年5月、無所属)次点落選[7]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 鈴木金太 (蔵山) 『衆議院議員候補者評伝 : 逐鹿界之片影』山田丹心館、1902年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第14回』衆議院事務局、1924年。
- 近藤喜一『事業と人』経済評論社、1934年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。