共和政ローマ鳥卜官一覧
表示
共和政ローマ鳥卜官一覧(きょうわせいローマちょうぼくかんいちらん)は主に共和政ローマの判明しているアウグル(鳥卜官)を記載した一覧。古い時代は資料に乏しいため不明な者も多い。
定員
[編集]ローマ建国の父ロムルスは、公的な行動をとる前に予兆を読み取るアウグルとして、自身に加えて当時3つあった各トリブスから1名ずつを選出し[1]、更に2代目ヌマ・ポンピリウスがそれに2名増員したとされる[2]。この時点で定員は6名であるが、紀元前300年にオグルニウス法が提出された時、パトリキ4名の定員に対してプレブス5名が追加されており、どうして6名(各トリブスから2名ずつ)であるはずの定員が4名に減ったのかリウィウスも分からないとしている[3]。とにかくこの法によって各トリブスから3名ずつが選ばれることとなり計9名となった。
アウグルの定員が大幅に増員される事となったのはこれよりかなり後のルキウス・コルネリウス・スッラが独裁官の時 (紀元前81年前後)で、15名に増員されている[4]。更にガイウス・ユリウス・カエサルが自身をアウグルに加え16名となった[5]。
王政期
[編集]- ロムルスとレムス[6],ローマ建国の伝説の双子。鳥占いで建国場所を決めた[7]
- 無名のアウグル,ヌマ・ポンピリウスが元老院に王権を譲られる時、神託を行った[8]
- ヌマ・ポンピリウス,王政ローマ2代目王。神祇官が民衆に示すべき予兆を鳥占いによって決定した[9]
- アットゥス・ナウィウス,王政ローマ5代目タルクィニウス・プリスクス王の無理難題を実現してみせたためアウグルの地位が大きく向上した[10]
共和政期
[編集]パトリキ
[編集]期間 | 氏名 | 備考 |
---|---|---|
紀元前81年頃~前26年 | マルクス・ウァレリウス・メッサッラ・ルフス[29] | 紀元前53年の執政官 |
紀元前63年~前48年 | アッピウス・クラウディウス・プルケル (紀元前54年の執政官)[30] | |
紀元前57年~前42年 | プブリウス・コルネリウス・レントゥルス・スピンテル[31] | 同名の57年の執政官の子 |
紀元前57年頃~前46年 | ファウストゥス・コルネリウス・スッラ[29] | |
紀元前56年頃~ | ルキウス・マルキウス・ピリップス (紀元前38年の補充執政官)[29] | |
紀元前49年頃~前43年 | セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)[29] | |
紀元前47年頃~前44年 | ガイウス・ユリウス・カエサル[32] | 紀元前45年からの終身独裁官 |
?~紀元前31年 | プブリウス・クラウディウス・プルケル (クロディウスの子)[33] | プブリウス・クロディウス・プルケルの子 |
?~紀元前11年頃 | パウッルス・アエミリウス・レピドゥス[34] | 紀元前34年の補充執政官 |
紀元前42年頃~紀元14年 | ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス[35] | 初代皇帝アウグストゥス |
紀元前40年頃~紀元7年 | ルキウス・センプロニウス・アトラティヌス[36] | 紀元前34年の補充執政官。おそらくルキウス・ユリウス・カエサルの後任 |
紀元前36年~紀元8年 | マルクス・ウァレリウス・メッサッラ・コルウィヌス[37] | 紀元前31年の補充執政官。定員外 |
プレブス
[編集]脚注
[編集]- ^ キケロ『国家論』2.9
- ^ キケロ『国家論』2.14
- ^ リウィウス『ローマ建国史』10.6
- ^ リウィウス,ペリオカエ,89
- ^ カッシウス・ディオ『ローマ史』42.51.4
- ^ キケロ『予言について』2.80
- ^ リウィウス『ローマ建国史』1.6-7
- ^ リウィウス『ローマ建国史』1.18
- ^ リウィウス『ローマ建国史』1.20.7
- ^ リウィウス『ローマ建国史』1.36
- ^ Broughton Vol.1, p.35.
- ^ Broughton Vol.1, p.14,35.
- ^ a b Broughton Vol.1, p.44.
- ^ Broughton Vol.1, p.57.
- ^ a b Broughton Vol.1, p.96.
- ^ a b c Broughton Vol.1, p.283.
- ^ a b Broughton Vol.1, p.377.
- ^ Broughton Vol.1, p.252.
- ^ Broughton Vol.1, p.266.
- ^ a b c d e f g Broughton Vol.1, p.394.
- ^ Broughton Vol.1, p.314.
- ^ Broughton Vol.1, p.436.
- ^ a b c Broughton Vol.1, p.495.
- ^ a b c d e f Broughton Vol.1, p.496.
- ^ Broughton Vol.1, p.547.
- ^ Broughton Vol.1, p.573.
- ^ Broughton Vol.2, p.44.
- ^ Broughton Vol.2, p.185.
- ^ a b c d e Broughton Vol.2, p.255.
- ^ Broughton Vol.2, p.284.
- ^ Broughton Vol.2, p.368.
- ^ a b c Broughton Vol.2, p.293.
- ^ a b c Broughton Vol.2, p.485.
- ^ a b c Broughton Vol.2, p.425.
- ^ Broughton Vol.2, p.369.
- ^ Broughton Vol.2, p.385.
- ^ Broughton Vol.2, p.406.
- ^ a b c Broughton Vol.1, p.172.
- ^ a b Broughton Vol.1, p.173.
- ^ Broughton Vol.1, p.210.
- ^ Broughton Vol.1, p.245.
- ^ a b Broughton Vol.1, p.276.
- ^ Broughton Vol.1, p.284.
- ^ Broughton Vol.1, p.309.
- ^ a b Broughton Vol.1, p.405.
- ^ Broughton Vol.1, p.460.
- ^ Broughton Vol.2, p.23.
- ^ Broughton Vol.2, p.52.
- ^ Broughton Vol.1, p.532.
- ^ Broughton Vol.2, p.8,56.
- ^ Broughton Vol.2, p.16.
- ^ Broughton Vol.2, p.213.
- ^ a b Broughton Vol.2, p.254.
- ^ Broughton Vol.2, p.171.
- ^ Broughton Vol.2, p.192.
- ^ a b Broughton Vol.2, p.426.
- ^ Broughton Vol.2, p.220.
- ^ Broughton Vol.2, p.233.
- ^ a b c d Broughton Vol.2, p.314.
- ^ Broughton Vol.2, p.292.
- ^ Broughton Vol.2, p.386.
- ^ Broughton Vol.2, p.390.
- ^ a b Broughton Vol.2, p.424.
- ^ Broughton Vol.2, p.413.
参考文献
[編集]- T. R. S. Broughton (1951, 1986). The Magistrates of the Roman Republic Vol.1. American Philological Association
- T. R. S. Broughton (1952). The Magistrates of the Roman Republic Vol.2. American Philological Association
- "Augur, Augurium, A Dictionary of Greek and Roman Antiquities, John Murray, London, 1875" (English). 2017. Bill Thayer's Web Siteより2020年8月20日閲覧。