五十野譲
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五十野 譲(讓、いその ゆずる、1864年5月15日(元治元年4月10日[1])- 1912年(明治45年)1月1日[1][2][3])は、明治期の酒造家・政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]常陸国行方郡次木村[1](新治県行方郡次木村、茨城県[2]行方郡次木村、武田村[3]次木[1]、北浦村次木[1]、北浦町を経て現行方市次木)で酒造家の家に生まれた[1]。漢学を修めた[2][3]。幼くして父を失い家業を継承した[1]。
武田村会議員に就任[2][3]。1892年(明治25年)自由党に所属して茨城県会議員に選出され[1][2][3]、1895年(明治28年)まで在任した[1]。
1898年(明治31年)8月、第6回衆議院議員総選挙(茨城県第1区、憲政党)で当選し[1][4]、衆議院議員に1期在任[2][3]。1904年(明治37年)3月、第9回総選挙(茨城県郡部、立憲政友会)では落選した[5]