上塚司
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上塚司 うえつか つかさ | |
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生年月日 | 1890年5月1日 |
出生地 | 熊本県下益城郡城南町 |
没年月日 | 1978年10月22日(88歳没) |
出身校 | 神戸高等商業学校 |
前職 | 南満州鉄道社員 |
所属政党 |
(立憲政友会→) (無所属→) (日本自由党→) (自由党) |
称号 | 勲二等瑞宝章 |
当選回数 | 7回 |
上塚 司(うえつか つかさ、1890年(明治23年)5月1日[1] - 1978年10月22日)は、日本の政治家。衆議院議員(7期)。正五位。
経歴
[編集]- 1890年 - 熊本県下益城郡城南町出身
- 熊本商業学校(現・熊本県立熊本商業高等学校)卒業
- 1912年 - 神戸高等商業学校(現・神戸大学)卒業、南満州鉄道入社
- 1920年 - 第14回衆議院議員総選挙熊本5区当選(立憲政友会)
- 1924年
- 5月 - 第15回衆議院議員総選挙落選
- 6月 - 高橋是清農商務大臣秘書官
- 1927年 - 高橋是清大蔵大臣秘書官
- 1928年 - 第16回衆議院議員総選挙熊本2区当選
- 1930年
- 1月 - 第17回衆議院議員総選挙落選
- 4月 - 国士舘高等拓殖学校校長
- 1932年
- 2月 - 第18回衆議院議員総選挙当選
- 6月 - 齋藤内閣大蔵参与官
- 1936年 - 第19回衆議院議員総選挙当選
- 1942年 - 第21回衆議院議員総選挙落選(無所属)
- 1946年 - 第22回衆議院議員総選挙当選(日本自由党)、第1次吉田内閣大蔵政務次官
- 1951年 - 熊本県知事選挙に出馬し、現職の桜井三郎に敗れる
- 1952年 - 第25回衆議院議員総選挙熊本2区当選(自由党)
- 1953年
- 4月 - 第26回衆議院議員総選挙当選
- 5月 - 衆議院外務委員長
- 1954年 - 外務委員長として、日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法案を委員長決裁で可決
- 1955年
- 第27回衆議院議員総選挙で落選し、政界引退
- 6月 - ブラジル政府より南十字星大勲位章受章
- 1965年 - 勲二等瑞宝章受章
- 1977年 - 城南町名誉町民
- 1978年 - 死去。墓所は谷中霊園寛永寺墓地。
著書
[編集]- 『揚子江を中心として』織田書店、1925年。
- 『理想的農業國デンマーク土産』泰文館書店、1929年。
- 「特別通信:ブラジル、アマゾーナス新植民地」(凌霜(凌霜会) 41号(1931年1月30日))
- 『世界資源地としてのアマゾン [講演]』資源科學諸學會聯盟、1941年。
- 『是清翁一代記 / 高橋是清口述 ; 上塚司著作』朝日新聞社、1929-1930年。
家族
[編集]脚注
[編集]- ^ 衆議院『第五十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1928年、33頁。
参考文献
[編集]- 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』衆議院、1990年。
- 武田知己「上塚司」『近現代日本人物史料情報辞典』第3巻、吉川弘文館、2007年。
- 石井光次郎他「アマゾン開拓の父 上塚司君逝く」(凌霜(凌霜会) 262号(1979年2月1日))石井光次郎は上塚司の神戸高等商業学校時代の同期生である。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』2003年、編集・発行 - 日外アソシエーツ、84頁。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]議会 | ||
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先代 栗山長次郎 |
衆議院外務委員長 1953年 - 1954年 |
次代 喜多壯一郎 |
名誉職 | ||
先代 松田三徳 |
最年少衆議院議員 1920年 - 1924年 |
次代 窪井義道 |