三好長富
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 慶長11年(1611年) |
死没 | 元禄9年7月23日(1696年8月20日) |
改名 | 勝任、長富 |
別名 | 右兵衛 |
戒名 | 紹三 |
墓所 | 小石川無量院 |
官位 | 従五位下備前守 |
幕府 | 江戸幕府 書院番、小姓組、使番 |
主君 | 徳川家光 |
氏族 | 三好氏 |
父母 | 三好可正、三好為三 |
兄弟 | 長富、菅沼定芳室、勝正 |
妻 | 三上季正の娘 |
子 | 長広、設楽貞政室、松田勝盛室、稲葉正篤室 |
生涯
[編集]寛永3年(1626年)旗本三好可正の子として徳川家光に謁見するが、その後祖父為三の養嗣子に立てられる。寛永7年(1630年)土井利勝の推薦を得て従五位下備前守に叙任。寛永8年(1631年)祖父が死去したため、翌年その家督を継承。寛文元年(1661年)寛永寺の普請奉行、寛文4年(1664年)新藩主戸田忠昌への富岡城引き渡し、延宝6年(1678年)新藩主青山宗俊への浜松城引き渡しを務める。天和2年(1682年)寄合となる。元禄4年(1691年)隠居して子の長広に家督を譲る。元禄9年(1696年)死去。