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フランツ・カール・ザルヴァトール・フォン・エスターライヒ=トスカーナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フランツ・カール・ザルヴァトール
Franz Karl Salvator
ハプスブルク=トスカーナ家

出生 (1893-02-17) 1893年2月17日
オーストリア=ハンガリー帝国の旗 オーストリア=ハンガリー帝国リヒテネッグ城ドイツ語版
死去 (1918-12-10) 1918年12月10日(25歳没)
オーストリアの旗 オーストリアヴァルゼー英語版
父親 フランツ・ザルヴァトール
母親 マリー・ヴァレリー
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フランツ・カール・ザルヴァトール・フォン・エスターライヒ=トスカーナドイツ語: Erzherzog Franz Karl Salvator von Österreich-Toskana, 1893年2月17日 - 1918年12月10日 ヴァルゼー英語版)は、オーストリア帝室の分家ハプスブルク=トスカーナ家出身の大公(Erzherzog、軍人。父方ではレオポルド2世の曾孫、母方ではオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の外孫にあたる。

生涯

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フランツ・カール・ザルヴァトール(左から2番目のセーラー服の少年)と家族、1905年頃

フランツ・ザルヴァトール大公と、その妻で皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の末娘マリー・ヴァレリー大公女の間の第2子、長男としてヴェルスのリヒテネッグ城で生まれた。全名は、フランツ・カール・ザルヴァトール・マリー・ヨーゼフ・イグナーツ(Franz Karl Salvator Marie Joseph Ignaz)。1903年より、姉のエラと一緒にウィーンショッテン中等教育学校ドイツ語版に特別講義生として通学した[1]。さらに陸軍士官学校に入学・卒業後、陸軍中尉に任官する。1915年より第1次世界大戦に従軍し、東部戦線でロシア軍、セルビア軍、ルーマニア軍と戦った。大戦が終結し二重帝国が崩壊した直後に病に倒れ、独身のまま25歳で死去した。

参考文献

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  • Marie Valérie von Österreich; Martha Schad (Hrsg.): Das Tagebuch der Lieblingstochter der Kaiserin Elisabeth. 1878–1899. 2. Auflage. Piper, München 2000, ISBN 3-7844-2702-2
  • Martha Schad: Kaiserin Elisabeth und ihre Töchter. Piper, München 1997, ISBN 3-7844-2665-4
  • Brigitte Hamann (Hrsg.): Die Habsburger. Ein biographisches Lexikon. Piper, München 1988, ISBN 3-4920-3163-3
  • Robert-Tarek Fischer: Österreich im Nahen Osten. Die Grossmachtpolitik der Habsburgermonarchie im Arabischen Orient 1633–1918. Böhlau, Wien 2006, ISBN 3-20577-459-0

引用

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  1. ^ Gymnasial-Chronik - In: Jahresbericht Schottengymnasium Wien, Jahrgang 1904, S. 44 oben.
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