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ダンダーナカーンの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ダンダーナカーンの戦い

ダンダーナカーンの戦いの図
1040年5月23日
場所ダンダーナカーン(メルブ近郊)
結果 セルジューク朝の勝利[1]
衝突した勢力
ガズナ朝 セルジューク朝
指揮官
マスウード1世
アリー・ダーヤー
アフマド・シーラ―ズィー
アブー・サフル・ザウザーニー
アブドゥルラッザーク・マイマンディー
ベグトゥグディー
スバーシー
チャグリー・ベク
トゥグリル・ベク
アブー・マンスール・ファラーマルズ[2]
戦力
不明(大軍であったとされる。)
60頭[3]または12頭[4]戦象
16,000[5]

ダンダーナカーンの戦い英語: Battle of Dandanaqan)は、1040年セルジューク朝ガズナ朝の間で、メルヴ(現トルクメニスタン近郊のダンダーナカーン(دَندانَقان)に於いて起こった戦いである。セルジューク朝の勝利に終わり[1]、ガズナ朝のホラーサーン支配が終焉した。

背景

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セルジューク族の族長トゥグリルとその兄チャグリーが挙兵すると、ガズナ朝領域への脅威と捉えられた。領域際の諸都市をセルジューク軍が襲うと、スルターンマスウード1世マフムードの息子)は、セルジューク族をガズナ朝領域から追放することを決めた。

戦い

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マスウード率いるガズナ朝軍のサラフスへの進軍の間、セルジューク軍の襲撃がガズナ朝軍を一撃離脱戦法で苦しめた。セルジューク軍はガズナ朝軍の供給線を断ち、近隣の井戸から切り離した。ガズナ朝軍の規律が乱れ、士気は著しく低下した。ついに1040年の5月23日、16000人ほどのセルジューク軍が、ダンダーナカーンでガズナ朝軍と衝突し、メルヴ近郊で彼らを破った。[5]

影響

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その後セルジューク軍は、さしたる抵抗にもあわず、ホラーサーンとその諸都市を征服した。[6] 1050-51年、トゥグリルのイスファハーン包囲が成功すると、「大セルジューク帝国」が形成された。一方、ガズナ朝のマスウードは当初インドに撤退し、廃位され、牢獄で殺害された。[7]座標: 北緯37度23分31秒 東経61度20分43秒 / 北緯37.391933度 東経61.345353度 / 37.391933; 61.345353

脚注

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  1. ^ a b Grousset, Rene, The Empire of the Steppes: A History of Central Asia , (Rutgers University, 2002), 147.
  2. ^ Abū Manșūr Farāmarz, C. E. Bosworth, Encyclopaedia Iranica, (July 19, 2011).[1] Archived 2013-11-10 at the Wayback Machine.
  3. ^ Christian, David, A history of Russia, Central Asia, and Mongolia , (Wiley-Blackwell, 1998), 373.
  4. ^ C.E. Bosworth, The Ghaznavids:994-1040, (Edinburgh University Press, 1963), 115.
  5. ^ a b Ann K. S. Lambton (1988). Continuity and Change in Medieval Persia. SUNY Press. pp. 5–. ISBN 978-0-88706-133-2 
  6. ^ The Histories of Herat, Jürgen Paul, Iranian Studies, Vol. 33, No. 1/2 Winter - Spring, 2000, 106.
  7. ^ Ghaznawids, B. Spuler, The Encyclopedia of Islam, Vol. II, Ed. B.Lewis, C. Pellat and J. Schacht, (Brill, 1991), 1051.

参考文献

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  • Bosworth, C.E., The Ghaznavids:994-1040, Edinburgh University Press, 1963.
  • Christian, David, A History of Russia, Central Asia, and Mongolia , Wiley-Blackwell, 1998.
  • Grousset, Rene, The Empire of the Steppes: A History of Central Asia , Rutgers University, 2002.
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