ウィキペディア日本語版へようこそ!

こんにちは、Hellsehenさん。はじめまして! ウィキペディア日本語版へようこそ!

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Hellsehenさんがウィキペディアにおいて実り多き執筆・活動をなされることを楽しみにしております。--Love monju bot会話2014年9月20日 (土) 09:52 (UTC)返信

記事冒頭部の他言語表記について

編集

Hellsehenさん、こんばんは。Fuwuyuanという者です。この間は私が作成した記事「ニコライ・ザテエフ」の雑草取りをしていただき、ありがとうございました。ところで、偽エチオピア皇帝事件にて冒頭の[[英語]]にリンクする編集をされていますが[1]、こういった冒頭部の他言語表記についてはTemplate:lang-enなどを利用すると、自動で言語名にリンクされ正しいグリフで表示されますので、テンプレートの使用をご検討ください。例:[2](テンプレートは各言語ごとにございます。ロシア語ならTemplate:lang-ru)--fuwuyuan(会談:記録) 2014年9月29日 (月) 11:19 (UTC)返信

初めまして、Fuwuyuanさん。アドバイスありがとうございます。是非とも参考にさせて頂きますので、今後ともよろしくお願いします。Hellsehen会話2014年9月29日 (月) 13:46 (UTC)返信

はい、こちらこそよろしくお願いします。--fuwuyuan(会談:記録) 2014年9月30日 (火) 12:20 (UTC)返信

 ご返事ありがとうございます。早速ウォッチリストに付け加えさせて頂きました。まだ不慣れですが、慣れるよう頑張ってみます。Hellsehen会話2014年9月30日 (火) 13:36 (UTC)返信

Hellsehenさん、はじめまして。山田と申します。
上でfuwuyuanさんが仰っていることは誤りではありませんが、ガイドラインである「Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)」に例示のある「ガイウス・ユリウス・カエサル」、「シャルル・モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール」、「インノケンティウス3世」では、いずれも言語の表示(「ラテン語」、「フランス語」など)がなされていません。本来、言語の表記は、広く多くの言語で異なる綴りによる表記が定着しており、それぞれが日本語版の記事として特筆性がある場合に「{{lang-**|....}}」 ないし「{{lang-**-short|....}}」のテンプレートを使用して行なわれることが一般的です。具体例としては、「フレデリック・ショパン」や「クリストファー・コロンブス」があります。
多くの言語において、特に本人の活動に関係が深い言語において、一貫してひとつの綴りで言及されるような事例では、いちいち言語表示をせずに代表的な綴りを示すことが一般的です。たとえな、「バラク・オバマ」は多くの言語では「Barack Obama」と表記されますが、ラトビア語などでは「lv:Baraks Obama」となります。しかし、日本語版の人名表記では、わざわざ「英語」などと記さずに「Barack Obama」とするのが通例です。
最近、Hellsehenさんが善意からなさっている編集でも、例えば「アーリン・ハリス」や「セシル・ギャント」などの例では、多くの言語において他の綴り字で言及される可能性が極端に低いのですから、「英語」といちいち表記することは必ずしも適切とは言えません。性急かつ機械的に言語表示を追加される編集を行なうことは、小生には好ましくないことであるように見えます。
何か当方に誤解があり、失礼に当たることを申し上げているように聞こえましたら、それは本意ではありません。どうか容赦ください。
意のあるところをお汲み取りいただければ幸いです。--山田晴通会話2014年12月28日 (日) 12:24 (UTC)返信

山田晴通さん、ご忠告ありがとうございます。確かに性急かつ機械的であると思われても仕方ないような編集であったかもしれません。ご不快に思われたのなら謹んでお詫びします。英語での他言語表記は、今後注意して気を配るよう心がけますのでご容赦下さい。Hellsehen会話2014年12月28日 (日) 12:50 (UTC)返信

ご了解いただき、ありがとうございます。引き続きよろしくお願いいたします。--山田晴通会話2014年12月28日 (日) 13:09 (UTC)返信

注釈・脚注形式での参考文献提示のお願い

編集

こんにちは、Kinno Angel会話)と申します。宗教改革の編集をありがとうございます。どうもご苦労様です。

記事執筆に当たって一つお伺いさせて頂きたいと存じます。Hellsehenさんはどの様な文献を参照されて加筆されていらっしゃいますでしょうか。日本語版ウィキペディアでは2014年12月1日 (月) 11:47 (UTC)現在、本文中に注釈を入れることが推奨されています。出典が無い記述は、後日削除されてしまう事もございます

Hellsehenさんがご執筆下さった記事が削除されないようにする為にも、ぜひ脚注形式で出典をご教示くださいますようお願い申し上げます。どうぞ宜しくお願い申し上げます。Kinno Angel会話2014年12月1日 (月) 11:47 (UTC)返信

ご忠告ありがとうございます。スウェーデンの宗教改革の項目自体は、一般的な歴史書である「北欧史」関連の書籍から編集をしました。ただし、今日の加筆に限っては、「オラウス・マグヌス‎」の頁から参照して加筆しました。これに限らず、他の頁からの参照を通して加筆することも度々あります。なので、他頁において脚注がない場合にはどうしても本元の頁からは出典を探れないこともあるかと思います。出来るだけ、出典や参考文献は入れる様には努力していますが、上記の場合にはご期待に添えないかもしれません。後は、閲覧者様のご判断に任せるしかないかと思います。Hellsehen会話2014年12月1日 (月) 12:06 (UTC)返信

色々な記事をブラッシュアップしていく際、「出典の無いもの」は、やはり削除せざるを得ない事が多々あるというのが残念ながら実情です。「なので、他頁において脚注がない場合にはどうしても本元の頁からは出典を探れないこともあるかと思います。」の意味がちょっとよく分らなかったのですが…?「孫引きはできない」「一次資料がどこかまでは分からない」という意味ですか?一般的な論文と異なり、jawpでは「孫引き」であっても、「どこから孫引きしたか」を書いた方が良い場です(むしろ書きませんと削除されることが有り得ます)。というか、jawpでは「一次資料の扱いには注意」しており、使った二次資料・三次資料も積極的に脚注に記すことがWikipedia:検証可能性を満たす上で推奨されております。どうぞよろしくお願いします。--Kinno Angel会話2014年12月1日 (月) 12:27 (UTC)返信

早速のご返事ありがとうございます。よく分からないと言いましたが、自分でも時々分からなくなることもあります。ご容赦ください。なるほど、使った二次資料と三次資料も脚注に記せばよいのですね。しかしここで言いたかったのは、閲覧元の文体を別の頁で使用する場合です。さすがにそのままの文体を使うわけにはいきませんが、かといって個人で分析・合成・解釈・評価した文体で加筆することは許されないでしょうし、そのままの文脈を脚注に載せるには膨大過ぎます(一度だけ、他頁の文脈を引用し、加筆した旨を脚注に記したことはありますが)。もし、どうしても他頁を参照し、その文脈に従って加筆した旨を伝えるであれば、編集中に「編集内容の要約」にそれを参照した旨を記すしかないでしょうね。もしそれでだめならば、削除も致し方ないでしょう。やむを得ません。Hellsehen会話2014年12月1日 (月) 13:26 (UTC)返信

宗教改革の頁の編集はこれで一段落とします。Kinno Angelさん、jawpのご教授ありがとうございました。引用した文脈については、削除されないよう願いますが、前日の加筆は、Wikipedia:検証可能性を満たしているかどうかは、不安なところでもありますので、やむを得ない場合は、出典なき記載の扱いとなることも覚悟しております。Hellsehen会話2014年12月2日 (火) 09:09 (UTC)返信

申し訳ありません。何度読み返してみても、率直に申しまして全く意味が分りませんでした…。

  • 閲覧元の文体を別の頁で使用する場合です。
    • 「文体」を「別の頁」で「使用する」と言うのは…。あの、すみません、「何の文体」で「何のページ」ですか?(汗
  • さすがにそのままの文体を使うわけにはいきませんが、かといって個人で分析・合成・解釈・評価した文体で加筆することは許されないでしょうし、
    • 「文体を使う」と言うのは、どういう意味でしょう…?「です・ます体」「『なのである』を避ける」とか、そういう意味ですか…?「分析・合成・解釈・評価した文体」って何ですか…?そうでない文章と言うのは有り得るのでしょうか(著作権無視の無断転載はjawpで禁止されています)。仰る意味が全く解りません…。
  • そのままの文脈を脚注に載せるには膨大過ぎます(一度だけ、他頁の文脈を引用し、加筆した旨を脚注に記したことはありますが)。
    • 「文脈を脚注に載せる」「文脈を引用」と言うのはどういう意味でしょう…?私が要請しましたのは「何々の本の何頁を出典とする」という情報の記述なのですが…。
  • もし、どうしても他頁を参照し、その文脈に従って加筆した旨を伝えるであれば、編集中に「編集内容の要約」にそれを参照した旨を記すしかないでしょうね。
    • もう一度伺いますが、「他頁」って何の話ですか?(汗)それと「文脈に従って加筆」というのはどういう意味ですか?(汗)

大変申し訳ないのですが、「文体」「文脈」「他頁」について、辞書を引いてからお話して頂けませんか?--Kinno Angel会話2014年12月2日 (火) 11:30 (UTC)返信

申し訳ありません。自分にはあなたに理解できるような説明をする能力はありません。他頁とは、別の記事のことで、たとえば「オラウス・マグヌス」の記事といったようなものです。文体とは分を構成する表現方法の総体として使いましたし、文脈はその文体の中から一連の問題となる文を引用した、あるいは切り取ったものです。そもそも「です・ます体」なんてどこから出てきたんですか? 何が(汗)ですか、伺う立場の人の言動とは思えませんね。使用方法として間違っているとしても、嘲る必要などあるでしょうか。本当に知りたいとはとても思えないですよ。要請された何々の本の出典は、昨日加筆したオラウス・マグヌスの経歴からは出典となる本が見つからなかったので、出典なき記載の扱いとなることもやむなしと、正直に書いたのですが。それに直接本から転載などしますか?著作権くらい知ってます。あなたにご教授して頂く必要はありません。本当に伺うという姿勢が見られないでのであれば、これ以上、会話ページでの応答は無理です。自分も相手に理解させるほどの文章力がないことは知っていますから。辞書を引くという常套句でもってお話しをしたいのであれば、常に辞書を引いてお話し出来る方となされば良いでしょう。もう結構です。Hellsehen会話2014年12月2日 (火) 12:24 (UTC)返信

  • 他頁とは、別の記事のことで、たとえば「オラウス・マグヌス」の記事といったようなものです。
  • 文体とは分を構成する表現方法の総体として使いましたし、文脈はその文体の中から一連の問題となる文を引用した、あるいは切り取ったものです。
  • 昨日加筆したオラウス・マグヌスの経歴からは出典となる本が見つからなかったので、出典なき記載の扱いとなることもやむなしと、正直に書いたのですが
    • 先に申しました通り、「別頁」と仰っていたので、「Hellsehenさんには資料があって参照しているらしい、しかし参照元・参照箇所が分からない、…これはどういうことだろう?」と本当に考え込んだわけです。
  • 本当に伺うという姿勢が見られないでのであれば
    • いや、本当に伺いたかったんですよ。「(汗)」というのは低姿勢の積りでした(「意味不明です」と言えば良かったのでしょうか)。

どうも不愉快に思われたようなので申し上げますが、今回、独自の言葉遣いで混乱を来したのは貴方のほうでいらっしゃいます。対話可能性というのは今後jawpで大変大事になりますので、今後お気を付け下さい。なお結局のところ「出典は無い」という事でいらっしゃいましたので、残念ながら加筆された箇所につきましては適宜、削ぎ落とさせて頂きます。それでは失礼します、ありがとうございました。--Kinno Angel会話) 2014年12月2日 (火) 12:44 (UTC)誤字修正--Kinno Angel会話2014年12月2日 (火) 12:45 (UTC)返信

感謝

編集

乗数・加速度モデルにおける草取り、誠にありがとうございました。登録ユーザーでないとウィキラブは送れないようですが、とてもうれしかったので感謝の意を述べたいと思います。--126.9.1.221 2014年12月13日 (土) 14:05 (UTC)返信

お礼を言われるほどのものではありませんが、そう言って頂けるのは大変ありがたく思いますが、申し訳なく思っております。それほどのことはしていないので。しかしながら、登録ユーザー様となってのご活躍を期待しています。Hellsehen会話2014年12月13日 (土) 14:14 (UTC)返信

もしよろしければご意見をください

編集

はじめまして。利用者:Libertasより北欧史にお詳しい方とお見受けし、お願いにまいりました。過日Hellsehenさんに手を加えていただいたトルヴァリド・コドランソンの改名を考えております。もし改名先についてご意見がありましたら、ノート:トルヴァリド・コドランソン#改名提案にコメントをいただけますとありがたいです。--ノフノフ会話2015年1月3日 (土) 17:56 (UTC)返信

返答・意見は、ノート:トルヴァリド・コドランソンにてしておきました。よろしくお願いします。Hellsehen会話2015年1月4日 (日) 14:20 (UTC)返信
記事名を変更しました。また、スウェーデン・ノヴゴロド戦争の加筆もありがとうございました。--ノフノフ会話2015年1月14日 (水) 14:00 (UTC)返信
ご苦労様でした。今後も機会がありましたらよろしくお願いします。Hellsehen会話2015年1月14日 (水) 14:47 (UTC)返信

参考文献について

編集

こんばんは。昨晩、「北方戦争」の記事を編集している時に気が付いたことがあり、Hellsehenさんにお尋ねしたく伺いました。

Hellsehenさんが「Libertasさん」のお名前で活動されていた時期、2012年10月15日 11:30 (UTC) に、「北方戦争」の記事で4冊の参考文献を挙げられましたね(編集の差分)。このうちの1冊、「武田龍夫『物語 北欧史』中公新書、1993年。ISBN 4-12-101131-7」についてですが、当方が参考文献の情報を整備する際にネットで書籍のタイトルを検索したところ、『物語 北欧の歴史』はAmazonなどで見つけられたものの、『物語 北欧史』は見つけられませんでした。しかしWikipediaではいくつもの記事が『物語 北欧史』を参考文献に挙げていました。そこで、『物語 北欧史』と書かれている二十ほどの記事のうち、下記の記事について編集履歴から加筆者を確認したところ、すべてHellsehenさん(Libertasさん)でした。

つきまして、下記の点について質問させてください。

  1. Hellsehenさんがお持ちあるいは図書館などで参照されている中公新書のタイトルが『物語 北欧史』なのでしょうか。
  2. 当方の個人的な印象ですが・・・、本文に文章を記述すると同時にその記述の出典となる書籍名を書いたのではなく、書籍名を書き加えるだけの編集が目立つように思いました。特に2012年10月15日には、少なくとも4件の記事に、わずか1時間の間に立て続けに書籍名を加筆されております。これらの書籍は、Hellsehenさんが記事を編集する際に実際に参考にされたものでしょうか。

こうしたメッセージを送られ、大変ご不快になられたことと存じます。申し訳ございません。ですが、Wikipediaでは検証可能性が三大方針のひとつとして重要視されております。記事の編集の時に参考にした文献が題名の書き間違いなどで特定できなかったり、そもそも編集時に参考にしていない文献が掲載されていたりしてはならないと、多くの利用者が考えております。どうかご回答願えませんでしょうか、よろしくお願いします。--Æskja会話2015年2月28日 (土) 12:39 (UTC)返信

初めまして。今改めて確認したところ、どうやらこちらの文献の筆跡に誤りがあったようです。Æskjaさんの仰られる様に『物語 北欧の歴史』が正確です。当方の大失態でした。当然、『物語 北欧史』などと言う物はありません。ご迷惑をおかけしましたことはお詫びします。これらの書籍は、実際に自身で購入し、参考としたものです。しかしながら、『北欧の歴史』と『北欧史』を混同してしまったと思われます。参考文献のみを記載したのは、脚注などの編集に労苦を強いられるため、あえて他編集者様の手をお借りしたかったためです。最近になって、多くの記事に参考文献が記されていないことに気付き、自身の知りうる限りの書籍を以て加筆を行っていたのですが、逆に誤解を与えるようなことをしてしまったようで恐縮しております。今ひたすら申し訳無い気持ちでいっぱいです。。。Hellsehen会話2015年2月28日 (土) 13:11 (UTC)返信

おはようございます。ご回答くださいましてありがとうございました。当方がご連絡差し上げた後からずっと、明け方近くまで修正作業をされていたようで、大変申し訳なく思います。どうかご無理なさいませんよう。
ところで、Hellsehenさんは脚注を設けるのが労苦だと仰いましたが、ご承知の通りWikipediaでは、2015年3月1日 (日) 01:16 (UTC)現在、本文中に注釈を入れる形で出典を明記するよう推奨されています出典が無い記述は、他の利用者に削除されることもあります
また、出典を明記する責任は、その文章をWikipediaに投稿しようとする利用者にあります。つまり、HellsehenさんがWikipedia上に文章を投稿される場合、その文章を書くのに参考にした文献等を提示するのは執筆者であるHellsehenさんがされるべき作業です。そして、単に文献を提示するだけでなく、投稿した文章に脚注形式で文献の該当ページを併記することが、Wikipediaの執筆者に負わされた責任なのです。
手間暇のかかる作業ではありますが、Hellsehenさんが過去に編集された記事を再度確認していただき、脚注形式で出典を明記していただければ、今後加筆する利用者や、さらに深く調べようとする閲覧者にとっては、非常に有益な情報となると思われます。ですが、重ねて申し上げますがくれぐれもご健康やお仕事に障るようなご無理はなさいませんよう。ゆっくりのんびり進めていきましょう。
長文となり、失礼いたしました。今後ともよろしくお願いいたします。--Æskja会話2015年3月1日 (日) 01:16 (UTC)返信

ご助言ありがとうございました。無理なくゆっくりのんびり進めて行きたいと思います。Hellsehen会話2015年3月1日 (日) 06:52 (UTC)返信

脚注内の文章の出典の明記についてお願い

編集

こんばんは。Hellsehenさんには煩わしいこととは思いますが、お話しさせていただきたく、また伺いました。先にお詫び申し上げます。

お話ししたいのは、Hellsehenさんによる「北方戦争」の2015年2月28日 15:16 (UTC) の編集(差分)をはじめとする、脚注形式で出典を示した編集において、出典に続けて有意な情報を加筆されていることについてです。たとえばこの編集(差分)で加筆された、脚注内の「オランダは(引用略)ではなかった。」の文章は、出典であるミュラーの書籍を参考にして書かれたのでしょうか。だとすれば、「オランダは(引用略)ではなかった。」の文章についても、直後に出典を示す必要があると考えますが、いかがでしょうか。

念のため、脚注方式での出典の明記について、もう一度お話しさせてください。ご承知の通りWikipediaでは、2015年3月2日 (月) 11:42 (UTC)現在、本文中に注釈を入れる形で出典を明記するよう推奨されています。下記の通りです(原文から少し編集しています)。

本文中に注釈を挿入する

編集
手順
  1. 出典を提示したい文章の直後に、参照すべき場所、範囲を明確に示す。通常はページ番号を付記する。
  2. できれば、脚注機能(Help:脚注)を使用して、本文の見た目をすっきりとさせる。具体的には、出典を <ref></ref> とで囲み、さらに出典を表示させるための「脚注節(セクション)」を本文の最後に作り、そこに {{reflist}} と書く。

そして、出典が無い記述は、他の利用者に削除されることもあります。下記の通りです。

出典なき記載の扱い

編集

記事に出典が示されていない場合、{{出典の明記}}テンプレートを使って出典の提示を求めることができます。十分な期間を経ても出典が見つからない記述は除去してください。

また、出典を明記する責任は、その文章をWikipediaに投稿しようとする利用者にあります。つまり、HellsehenさんがWikipedia上に文章を投稿される場合、その文章を書くのに参考にした文献等を提示するのは執筆者であるHellsehenさんがされるべき作業です。そして、単に文献を提示するだけでなく、投稿した文章に脚注形式で文献の該当ページを併記することが、Wikipediaの執筆者に負わされた責任なのです。下記の通りです。

出典を示す責任は掲載を希望する側に

編集

出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者にあります。このため、執筆者は出典を明記すべきです。定評のある情報源がない場合、その話題に関する記事はウィキペディアで立てるべきではありません。
信頼できる情報源を欠く編集は、除去されるのもやむを得ません。

どうか、Hellsehenさん、よく考えていただきたいのです・・・。当方はたしかに、昨日Hellsehenさんに対し「過去に編集された記事に脚注形式で出典を明記する作業をゆっくりのんびり進めていきましょう」といったお話をしました。これは、徹夜したり休日をつぶしたりしてまで無理をしていただきたくない、という気持ちから書いたものです。しかしHellsehenさんは、「ゆっくりのんびり」という言葉を額面通りに受け取ってしまっておりませんか。当方には不要不急の作業に思える内部リンクの修正や仮リンクの設置、カテゴリの追加といった編集を優先し、Hellsehenさんご自身で労苦だと仰った脚注を設置する編集はゆっくり進めて良いと誤解して後回しにしてはおりませんか

Hellsehenさんにご提案があります。今週いっぱいは、ご自身が加筆した箇所の出典を脚注形式で示す作業と、すでに設置した脚注にある出典不明の文章の出典を示す作業とに、集中して取り組まれてはいかがでしょうか。Hellsehenさんが過去に投稿した文章の出典はHellsehenさんにしか分かりません。Hellsehenさんにしか出来ない重要なお仕事です。こういったお話をさせていただいた非礼をお詫びするとともに、改めてお願いを申し上げます。またも長文となり、失礼いたしました。--Æskja会話2015年3月2日 (月) 11:42 (UTC)返信

ご忠告ありがとうございます。ですが、ゆっくりのんびりと言ったのは、言葉通りの意味です。自分には、Wikipediaの細かい編集には未だに慣れてはいる訳ではないのです。その様な中で、自分なりに出典を示して来たと思っていました。しかしどうしても希望を完全に叶えられるとは到底思えません。何故なら、自分の示した文献が定評の無い情報源と決めつけられてはもうお手上げです。その編集には信頼性が無いと言われているも同然ですから。自分が編集した箇所も脚注からの文献から探れるはずです。その文献を査読なさればの話ですが。
Æskjaさんの仰られている事はほぼ全て正しいと思っています。編集の仕方をご教授なさって下さっていることにも感謝しています。しかし、一朝一夕で編集の仕方を憶えられる訳がありません。それに出典不明の文章の編集の全責任を一執筆者に全て負わせているのですか?これは他の編集者の方も同様でしょうか?新しい編集ばかりに囚われて過去の一切の情報源を欠く文章の編集に対しては何も仰られないのでしょうか?自分なりには情報源を示したと言えましょうが、尚、不十分な箇所も確かにあります。そう言った箇所は他記事からの引用もあるので、こちらからは確かな情報源を示す事は出来ません。特に自分が持つ参考文献は大まかな北欧の歴史関係のみですから。それ以外については、責任は負えません。信用出来ない編集者に全責任を押しつけるなど、言語道断です。特に、定評のある情報源がない場合などと、まるで「独自研究」かのような評価を下されては一層です。自分なりに納得して、確固とした情報源が無ければ、脚注等は、編集出来ないとお答えしておきましょう。勿論、責任放棄をしたい訳では無く、あくまでも、最低限の情報源としての脚注化を行いたいとは思っています。しかしそれすら信頼できないのであれば、どうすれば宜しいのでしょうか。それでも出来るだけのご要望に応えるべく、出来る限りの出典を出して、脚注化出来るところはしてきましたが、ある一定の個人しか知らない文献など、存在するでしょうか?参考文献の書名間違いを犯した事はお詫びします。しかし、自分が示した文献は、それ程までに定評の無い情報源なのでしょうか?
自分でも出来うる限りの責任は果たしたいとは思っています。しかし、上記の諸々の理由故に、迅速に処理出来る問題ではありません。出典が示されない場合、削除される事も致し方無い事ですし、編集した文章の出典も示す事も当然でしょう。それは同意出来ます。しかしそれら全て閲覧者のご要望、ご希望通りには行かないと思っています。ですから、当方以上の参考文献をお持ちの方々の知恵と協力をお願いしたいのです。それがWikipediaなのではないのですか?今はまだ、無力故にご期待に添えないと思えます。出典を明記したところで、そう受け取ってもらえず、要出典のテンプレートを追って貼られ続けては、編集に集中は出来ませんので。確かに自分の編集する記事には過去の他編集者による、出典不明の文もありますし、それは、やむを得ない事かも知れませんが。Hellsehen会話) 2015年3月2日 (月) 14:29 (UTC) ※行頭にインデントを追加させていただきました。--Æskja会話2015年3月3日 (火) 11:38 (UTC)返信
こんばんは。ご返事いただき、ありがとうございました。
改めてお願いを申し上げます。「北方戦争」の記事に、2015年2月28日 15:16 (UTC) にHellsehenさんが加筆された部分(差分で表示)にある下記の文章の出典を、「北方戦争」の記事内でお示しください。Hellsehenさんが過去に投稿した文章の出典はHellsehenさんにしか分かりません'
  1. ポーランド・スウェーデン戦争」とも呼ばれている。
  2. オランダは、戦前は経済的結び付きの強いスウェーデンの同盟国であった。しかしスウェーデンの重商主義政策は、結果的にオランダとの競争を招き、経済的にも政治的にも二国間の関係を悪化させることとなった。新たな同盟国となったイングランドは、スウェーデンの新たな市場となったがオランダほど強固なものではなかった。
※「1.」「2.」の数字は分かりやすくするために当方がつけたものです。
出典の提示がなければ、当方はこの部分を信頼できる情報源を欠く編集とみなして、「北方戦争」の記事から除去します。なお、念のため申し添えますが、「北方戦争」の記事内では上記の文章の前にある、文献の著者の姓やページ番号は除去の対象ではありません
よろしくお願いいたします。--Æskja会話2015年3月3日 (火) 11:38 (UTC)返信
返答が遅れてすいません。「1.」「2.」の出典は、脚注の文献のページ内からの引用ないし、纏めた物なのですが、それをどう提示して良いやらか思案はしましたが解りませんでした。「1.」は、著作の「注」ページの41pからの引用で、「2.」に関しては、その著作内の文章の一部を「北方戦争」の記事の事柄に合わせる形で纏めた物なのですが、やはり解りづらいのかもしれないですね。当方も苦心しています。自分としては、その脚注の上文と下文は、続きないし一体の物として考えて居たのですが。その上でそれを信頼できる情報源として上げるのはとても難しいです。脚注にあるページ番号に添えてある下文は、どれもそのページ内に有るか、纏め上げた物ですから。出典を示す事は責務だとは思っていますが、希望通りでなければ除去対象とするのはいかがな物でしょうか。確かにそれは、信頼できる情報源を明白に示せない当方に責任はあるかとは思いますが。Hellsehen会話2015年3月4日 (水) 10:28 (UTC)返信
こんばんは。ご返事を拝見いたしました。
当方へのご返事は無用です。当方がお願いした箇所の出典をお示しください。以上です。--Æskja会話2015年3月4日 (水) 12:24 (UTC)返信

独自研究について

編集

こんばんは、Æskjaです。「氷上侵攻」での2015年3月5日 08:50 (UTC) の編集差分)を拝見しました。Hellsehenさんが要約欄に書かれた文章を見まして、独自研究についてもしや誤解されているのではないかと心配しまして、念のためお知らせにあがりました。

Hellsehenさんが「情報源に欠ける」として除去された文章に、当方が{{独自研究範囲}}のテンプレートを貼っております。貼った理由は、その文章が信頼できる情報源(著名な第三者が公表した書評など)に基づいたものではなく、Hellsehenさんがご自分でそう感じて書かれたものではないかと考えたからです。匿名のWikipedia執筆者の感想だという点では「信頼性に欠ける情報源」なのは確かです。しかし、「著者(武田氏)だけが書いた事であり、他の著述家は書いていないから独自研究だ」ということではありませんWikipedia:独自研究は載せない#何が除外されるかには独自研究とみなされる編集の例が挙げられていますが、そのうちの「オリジナルのアイデアを加筆する」が、Hellsehenさんが書かれた内容に近いように思えました。そのため{{独自研究範囲}}を設置したものです。

ついでながら、そうした著者の感想らしき事柄であるならば、{{Refnest}}で注釈として掲載した方が良いのではないかと思われたので、勝手ながら編集させていただきました。出典につきましては、当方は参考文献を見ておりませんので、もし間違っていましたらお手数ですが修正してくださいますと幸甚です。

追伸 当方へのご返事は無用です。--Æskja会話2015年3月7日 (土) 13:00 (UTC)返信

記事「バルト帝国」の参考文献について

編集

こんばんは、Æskjaです。バルト帝国での2015年3月8日 13:58 (UTC) の加筆(差分)を拝見しました。参考文献として5冊の本を挙げられました。しかし脚注形式で出典が示されていないため、当方は、本当にこれらが執筆時に参照されたのか、疑問に思いました。そのためこれらの書籍は、閲覧者がさらに情報を得る際の参考になる書籍を紹介する「読書案内」の節に移動させていただきました。もしこの5冊が本当にHellsehenさん(Libertasさん)の加筆した箇所の出典であるならば、本文中に脚注形式で出典を示していただいた上で「参考文献」の節に戻していただけないでしょうか。つまり、ここで当方へ何かお話しされるのではなく、執筆時に参照したページ番号を本文中に脚注形式で記すことで、これらが参考文献であることをお示し願えませんでしょうか

なお、当方がHellsehenさんにお願いしたいのは、具体的には次のような編集です。この編集ではすべての加筆箇所の一部しか出典が示されていないように見えますがるものの、この程度の出典の提示は、どうかHellsehenさんもなさっていただけないものでしょうか。

よろしくお願いいたします。

追伸 当方へのご返事は無用です。Hellsehenさんご自身が加筆された箇所に出典を脚注形式で示してくださることを、ご返事として承ります。--Æskja会話) 2015年3月9日 (月) 12:34 (UTC) 一部修正しました。--Æskja会話2015年3月10日 (火) 12:23 (UTC)返信
おはようございます、Æskjaです。「バルト帝国」の記事で脚注形式で出典を明記していただいたのを確認いたしました。Hellsehenさんが出典だとされた文献は、参考文献の節に戻しましたのでお知らせいたします。
たぶん最後のお話をさせていただきます。
脚注形式で出典を示す編集を「労苦を強いられる」ものと感じるならば、また、執筆のたびに参照している書籍の題名も正しく提示できない上に、執筆者が果たすべき責任も他編集者の手に押しつけるならば、加筆などなさらなければ良いのです。
そして、こういった編集一つで、長い間の積極的な活動で積み上げてきた信頼も評価も失うことがあるのです。もっとも、ÆskjaごときがHellsehenさん(Libertasさん)にずっと寄せていた憧れや尊敬が損なわれたからといって、Hellsehenさんにとっては「だから、何?」という程度の事でしたね。
以上です。当方へのご返事は無用です。--Æskja会話2015年3月13日 (金) 23:35 (UTC)返信
ご返事は無用との事ですが、では独り言として語らせてもらいます。間違いは誰にでも有るとは思いますが、とかく自分に関しては間違いは多いという事を認識させられました。気にしていないと言えば嘘になってしまいますし、編集する事に臆病になってしまいました。Æskjaさんの仰られる通り、編集責任が持てないので有れば加筆などしなければ良かったと反省しています。基本は一読者として、完全に約束は出来ませんが、Æskjaさんの示したガイドラインを参照して勉強させて頂きたいと思っています。では、失礼をしました。Hellsehen会話2015年3月14日 (土) 08:09 (UTC)返信

関連記事への編集中止のお知らせ

編集

誠に勝手ではございますが、当方の都合により今後の関連記事への編集を一切取り止めにさせて頂きたく存じます(その他の記事に関しては保留中ですが)。と、申しますのも、当方が行った編集により、誤解と疑義を招来させてしまったと言う事情からです。それに関してはお詫びを申し上げます。しかしながら、当方が用意した書籍が参考文献として見做されず、検証はおろか記事の全履歴確認もまともにされず(その記事がどの様な経緯によって作成されたか)、ましてや書籍の通読すら行われずに、次々次々と関連記事に対して”要出典”を張られ続けられた事に失望感を禁じ得ず、参考文献の追加と脚注化による信頼性向上への熱意は急速に冷め、完全に心が折れてしまいました。そもそも、自分の用意した書籍では、全て信頼性の無い、只の読書案内に過ぎないと見下された訳ですから。今後、仮に編集を行った処で結果は同様でしょう。当方が編集する事は、より誤解と疑義と偏見を持たれる事に疑いは無いからです。その様な過ちを犯した事自体、当方に非が有る事は重々自覚しております。しかしそれによって受け手が失望するも、疑念を持たれる事も当方には責任は負えません。それはそう感じた方の勝手なのです。当方は信頼性が全く無いユーザーとの烙印を押されたのですから、編集を行った処で斜に構えられる事は必定だと言えるでしょう。悲しい事ですが、もう、後には引けなくなってしまいました。会話ページでの独り言で、”勉強させて頂きます”と書いた手前、非常に恥ずかしい限りなのですが、もう、提示する書籍が尽きてしまいました。これではいくら勉強しても出典を明らかにする事は不可能です。出典として認知して頂けないのだから、当然と言えるでしょう。とてもとても残念無念ですが、それは当方の力不足であったが故に生じた過失なのです。最後になりますが、質問状にお答えする事は、一身上の都合により出来ません。また、今後の会話ページでの議論も、申し訳ありませんが、北欧の歴史関連の記事においてはお受け出来ません。当方の疑義・疑念が晴れる事無く、納得出来る回答は、当方には一切出来ないからです。心残りではありますが、苦渋の決断としてご理解頂きたいと思います。本当にご迷惑をおかけ致しました。Hellsehen会話2015年3月18日 (水) 11:32 (UTC)返信

お邪魔します。ずいぶん昔にwikifyしていただいたことのある利用者です(たしかこれ。ほかにもあったと思います)。最近忙しくて全然記事いじれてないのですが(今日もこんな時間……)、ここは気になって経過だけ見てました。正直私としてはそこまで問題ある編集とは思えませんでした。単純な参考文献追加もWP:GENREFなんだろう、と思いますし、バルト帝国も(忙しくて精査できてませんが)見た目は問題を感じませんでした(この差分)。
なんというか、1on1だと何が問題なのか分かりにくいとおもいますので、第三者にコメント依頼や井戸端にだしてもいいと思います。「ここまでやった。何が足りないか?」「自分はここまでやった。なにが問題なのか?」くらいの質問でも、きっと時間有る人が何かコメントくれると思います。自分の中だけでまとまってしまっては良い方向には向かわないような気がします。というのは自分の欠点は自分ではなかなか気づかない、また、「ある一人の意見」だけではなかなか納得できない部分もあると思いますので。あんまり早まった結論出す前にもうちょっと「具体的に何が問題か」を聞いてみても良いような気がしました。少なくとも以前、一定期間種々の特別:新しいページを眺めてて感じた(悪い)感想は、Hellsehenさんの加筆には感じませんでした。そういう感想を持つ人間もいるということを一応お伝えしておきます。とりあえずは当面、距離をおいてみるという案は支持します。まとまり無くてスミマセンがとりあえず、声掛けということで。。。--Mizuhara gumi会話2015年3月18日 (水) 14:57 (UTC)返信
(Hellsehenさんへ)
こんばんは、Æskjaです。当方は、北欧の歴史関連の記事についてではなく、Wikipediaの三大方針の一つである「検証可能性」と重要なガイドラインの一つである「出典の明記についてお話しをしております。安易に対話拒否を表明されませんようお願いいたします。なお、このページの下部に本日新たに記載したお知らせについては必ずご覧願います。--Æskja会話2015年3月22日 (日) 11:14 (UTC)返信

コメント依頼提出準備のためのお尋ね

編集

こんばんは、Æskjaです。当方は、Hellsehenさん(Libertasさん)のWikipediaにおける編集姿勢について他利用者からのご意見を戴きたく、コメント依頼を提出する準備をしております。その関係で、Hellsehenさん(Libertasさん)にご質問させていただきたく思います。下記の各項目にある「ご質問」をご覧いただき、「ご回答」の欄に、「はい・いいえ」程度の簡単なご回答で差し支えありませんから、署名(-~~~~)を添えてご回答いただけませんでしょうか。なお、もしご回答いただかなくとも、コメント依頼ではご回答がなかった旨を説明する予定ですので当方は差し支えありません。また当方の錯誤等がありましたら修正いたしますのでご指摘願います。6件と多いため本当に申し訳ありませんが、どうかよろしくお願いいたします。--Æskja会話2015年3月19日 (木) 13:20 (UTC)返信

Libertasさんは上記の記事に対し、2006年3月25日 09:24 UTC の編集(差分)で参考文献として『ヴェストファーレン条約と神聖ローマ帝国』を掲載されました。しかしLibertasさんは、その編集の前はまったく編集をされておらず、1週間後の 4月1日 04:47‎ UTC に関連項目を追加する軽微な編集をした後は、8年半後の2014年10月5日 15:08 UTC に2回、Hellsehenさんとしてカテゴリを追加する軽微な編集しかしていません。
Libertasさんは上記の記事に対し、2012年10月17日 11:28 UTC の編集(差分)で参考文献として、『物語 北欧の歴史』、『北欧の外交』、『北欧史』の3冊を掲載されました。しかしLibertasさんは、その編集の前は、3年半も前の2008年4月14日 (月) 08:18 UTC 、4月14日 08:24‎ UTC、5月24日 23:59 UTC の3回、関連項目の追加などの軽微な編集しかされていません。つまり、参考文献が必要な編集をまったくしていないにもかかわらず参考文献を掲載しています。そしてその後のLibertasさんによる編集は、参考文献を挙げてから1年以上も経った2013年12月4日 11:52‎ UTC でした。
上記は、『物語 北欧の歴史』からの無断転載疑いの記事の削除依頼です。
上記は氷上侵攻初版(2006年1月28日 09:24 UTC)を投稿したIPですが、初版から、日本の鵯越えや桶狭間の戦いと当該作戦との比較について言及しています
上記は2007年8月29日にノート:大北方戦争反スウェーデン同盟を編集したIPアドレスです。

以上です。なお、Hellsehenさんが当方に対するコメント依頼を提出されるようでしたら、当方からは提出は控え、その場をお借りしてHellsehenさん(Libertasさん)の編集姿勢についてお話をさせていただきますが、その際も上記の質問とご回答について言及する予定ですので予めご了承ください。--Æskja会話2015年3月19日 (木) 13:20 (UTC)返信

(追記) 当方へコメント依頼を出される場合は、できれば4月中に末までにお願いいたします。その後はHellsehenさんからのコメント依頼は無いとみなして当方からコメント依頼を提出いたします。--Æskja会話) 2015年3月22日 (日) 11:14 (UTC) 何度も訂正し申し訳ありません。--Æskja会話2015年3月22日 (日) 11:22 (UTC)返信

記事からの参考文献の除去のお知らせ

編集

こんばんは、Æskjaです。Hellsehenさんが「利用者:Libertas会話 / 投稿記録さん」だった頃に「キール条約」「フレデリクスハムンの和約」「ニスタット条約」の3記事に参考文献を記載されましたが、これらは当方が除去いたしましたのでお知らせいたします。理由を「ノート:キール条約」「ノート:フレデリクスハムンの和約」「ノート:ニスタット条約述べましたので、ご確認願います。なおもしご意見がございましたならば、お手数でも各ノートにてお話し願います。取り急ぎお知らせまで。--Æskja会話) 2015年3月22日 (日) 11:14 (UTC) 誤字修正。--Æskja会話2015年4月5日 (日) 13:28 (UTC)返信

こんばんは、Æskjaです。Hellsehenさんが「利用者:Libertas会話 / 投稿記録さん」だった頃に「アニアーラ事件」「大陸封鎖令」「シャルル10世 (フランス王)」の3記事に参考文献を記載されましたが、これらは当方が記事から除去、または読書案内の節に移動するなどしましたのでお知らせいたします。理由を「ノート:アニアーラ事件」「ノート:大陸封鎖令」「ノート:シャルル10世 (フランス王)」で述べましたので、ご確認願います。なおもしご意見がございましたならば、お手数でも各ノートにてお話し願います。取り急ぎお知らせまで。--Æskja会話2015年4月5日 (日) 13:28 (UTC)返信

「ジョゼフ・フーシェ」の記事での出典明記のお願い

編集

こんばんは、Æskjaです。HellsehenさんがLibertasさんだった頃の2012年7月17日 10:00 UTC に、「ジョゼフ・フーシェ」の記事に参考文献として両角良彦著『反ナポレオン考 時代と人間』を記載する編集をされていますが、出典となるページが記事中に明記されておりません。できれば早急にページ番号をお示しいただけませんでしょうか。また、Libertasさんのこの編集については、ノート:ジョゼフ・フーシェで当方が説明しておりますので、お手数でも必ずお目通しいただけませんでしょうか。よろしくお願い申しあげます。--Æskja会話2015年4月5日 (日) 13:28 (UTC)返信

コメント依頼提出準備のためのお尋ね(2回目)

編集

こんばんは、Æskjaです。大変ご無沙汰しております。ウィキブレイク中のところ恐れ入りますが、お話ししたい事があり、伺いました。もしこのページをご覧になっておりましたら必ずご返事を頂戴したく、勝手ながらお願いを申しあげます。

先に当方は、Hellsehenさん(Libertasさん)のWikipediaにおける編集姿勢について他利用者からのご意見を戴きたく、コメント依頼を提出する準備をしている旨をお話ししました。しかしHellsehenさんがウィキブレイクに入られた様子でしたので提出を見合わせております。その後、またいくつかの編集について確認させていただきたい事が出てきました。下記の各項目にある「ご質問」をご覧いただき、「ご回答」の欄に、「はい・いいえ」程度の簡単なご回答で差し支えありませんから、署名(-~~~~)を添えてご回答いただけませんでしょうか。なお、当方の錯誤等がありましたら修正いたしますのでご指摘願います。どうかよろしくお願いいたします。--Æskja会話2015年9月6日 (日) 12:54 (UTC)返信

上記の3つのIPアドレスは、2005年4月と6月に、ある記事を編集しております。
  • ご質問:Hellsehenさん(Libertasさん)は上記のIPアドレスで編集をされたことはございますか?
  • ご回答:
上記は氷上侵攻初版(2006年1月28日 09:24 UTC)を投稿したIPですが、初版から、日本の鵯越えや桶狭間の戦いと当該作戦との比較について言及しています。また、このIPは2012年8月下旬に十数件の編集を行っています。
ところで、方針文書の「Wikipedia:多重アカウント」は2011年4月26日付で改訂されており、複数のアカウントで同一ページを編集することは禁止されましたが同一の利用者だと表明された複数アカウントであれば認められています。このことを踏まえて再度ご質問いたします。
Hellsehenさんは、活動を再開されて間もなくゴート族を編集されています(差分 ※1件のボットによる編集を含む)。
Hellsehenさんはナルヴァの戦いでのこの編集(差分)で、箕作元八の『北方の流星王』を参考文献に挙げ、本文中に脚注形式で出典のページを記載されました。
実はその後、当方がこの記事を編集したのですが、その際『北方の流星王』が国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できるのに気付きました。そのため、Hellsehenさんが挙げた箇所が「16 渡河敵を破るヂュナミュンドの合戦」の章だと分かったのでタイトルを記載できました。他に、ナルヴァの戦い自体を扱った「14 四倍の敵軍を破るナルヴァの戦」の章については、記事本文に他の書籍が出典としてすでに挙げられていたことから、関連書籍の節で紹介するに留めました。このことを踏まえて質問させていただきます。
  • ご質問:Hellsehenさんは、『北方の流星王』から「ヂュナミュンドの合戦」の章を出典として追加されたにもかかわらず、「ナルヴァの戦」の章を出典として追加されなかったのは、なぜですか?--Æskja会話2015年9月6日 (日) 12:54 (UTC)返信
  • ご回答:

「ゴート族」の記事について

編集

続けてお話しさせていただきます。ゴート族へのHellsehenさんによる加筆(差分)は、出典がないことから、大変申し訳ありませんが除去いたしました。Wikipedia:出典を明記する#出典なき記載の扱いではまず出典の提示を求めるようにとありますが、Hellsehenさんは今後は記事に出典をつけないとも受け取れる旨を表明されておりますし、1年近く経ってもどなたも出典をつけていないことから、出典がつく可能性は低いと考えて除去したものです。悪しからずご了承ください。もちろん、出典を添えていただけるならば、除去された箇所を復元することはまったく問題ございません。--Æskja会話2015年9月6日 (日) 12:54 (UTC)返信

追伸 「ヘルヴォルとヘイズレク王のサガ」も「大北方戦争」も、すばらしい記事だと思いませんでしたか。執筆をされた利用者の方々は、翻訳や調査などでとても苦労されたことでしょう。--Æskja会話2015年9月6日 (日) 12:54 (UTC)返信

「管理者伝言板/投稿ブロック」への報告について

編集

こんばんは、Æskjaです。Hellsehenさんは、監視のがれ(投稿履歴の分断)の目的で「利用者:Meine Libe会話 / 投稿記録 / 記録」のアカウントを使用されているとお見受け致しました。そのため、Wikipedia:管理者伝言板/投稿ブロック#2016年2月21日 - 29日新規報告に報告致しました。もちろん、当方の事実誤認がありましたら報告を取り下げます。なお、会話ページに他利用者からメッセージが寄せられましたら、無視をなさらず必ずご返事を下さるよう、重ねてお願いを申し上げます。--Æskja会話2016年2月26日 (金) 12:59 (UTC)返信

コメント依頼提出のお知らせ

編集

こんばんは。「Wikipedia:コメント依頼/SK・Meine Libe・Hellsehen」を提出致しましたので、被依頼者コメントの節に必ずコメントを戴けるようお願い申し上げます。--Æskja会話2016年3月3日 (木) 13:49 (UTC)返信

こんばんは

編集

こんばんは、Æskjaです。ジョゼフ・フーシェの記事の件で、#「ジョゼフ・フーシェ」の記事での出典明記のお願いでご案内を差し上げておりますが、ノート:ジョゼフ・フーシェにてコメントをまだ戴いておりません。このメッセージをご覧になりましたら早急にコメントして戴けるようお願いします。

ところで、Hellsehenさん(Libertasさん)は、ジョゼフ・フーシェでの2012年7月17日 (火) 10:00 (UTC) の編集(差分)の要約欄に、「少しは勉強してから「要出典」を入れましょう。この程度の出典は誰でも参照できるはずです。」と書かれた上で、本文中の{{要出典範囲}}のタグを除去し、両角良彦著『反ナポレオン考』を参考文献として掲載されましたね。{{要出典範囲}}の貼られていた3箇所は下記のIP利用者によって加筆されたようです。

このIPは、調べたサイトによっては異なる都道府県で判定されることがありましたが、いずれも「千葉県」からの接続でした。BIGLOBEからは平日の日中に、DIONからは平日の夜と土日の終日に、編集がありました。この傾向は、「Wikipedia:削除依頼/書籍からの転載が疑われる北欧関係記事」における千葉県からのBIGLOBEとDIONの編集でも同様に見えます。

当方は、これらのIPが利用者:Libertas会話 / 投稿記録 / 記録のアカウントを作成する前のあなただろうと考えておりますが、いかがでしょうか。あなたは、7年前にご自分で書いた文章に{{要出典範囲}}タグが貼られているのを見つけると、7年前にご自分が参照した『反ナポレオン考』を参考文献として記載し、要約欄に「少しは勉強してから「要出典」を入れましょう。この程度の出典は誰でも参照できるはずです。」と書いて投稿したのではありませんか? 自分で参考にした出典なら誰でもすぐに提示することができるでしょう。しかし、他人が参考にした出典を探し出すことなど簡単にできることではありません。

出典のない文章に{{要出典範囲}}タグや{{出典の明記}}タグを貼ることに何の問題がありましょうか。閲覧者が「出典を示して下さい」と言っただけです。その文章を書いた利用者には出典を示す責任があります。それに対してあなたは「少しは勉強しなさい」「この程度なら誰でも参照できる」と言ったのですね。閲覧者に何の手がかりも与えずに、フーシェやナポレオンについてのあまたの文献を当たって自分で出典を探せと言ったのですね。

では当方から一つお願いします。ゴート族での2014年9月22日 (月) 10:21 (UTC) の編集(差分)であなたが書いたこの文章の出典を、ゴート族に関するあまたの本から探してきて、「この程度の出典は誰でも参照できるはずです」と言って我々にお示し願います。ご自分で書いた文章ですから、すぐに出典をお示し戴けますよね。

そしてまた、ラトビアの歴史2014年12月5日 (金) 10:50 (UTC)・10:52 (UTC) の2版の編集(差分)で、あなたは箕作元八著 『北方の流星王』を出典として掲載した上で、ナルヴァの戦いとドヴィナ川の戦い (Crossing of the Düna) について加筆し、102-108頁を脚注形式で出典として示しています。この102-108頁は、当方が上でお話ししているように「ヂュナミュンドの合戦」(ヂュナミュンドはたぶんen:Dünamunde)の章です。87-95頁に「ナルヴァの戦」の章があったのに、あなたはなぜかこのページを脚注で示していません。当方は、あなたが実際には『北方の流星王』を参照しておらず、大北方戦争に他の方が2010年9月5日 (日) 04:29 (UTC) に加筆した内容だけを見て、ナルヴァの戦いラトビアの歴史に加筆したと考えておりますが、いかがでしょうか。ノート:大北方戦争#出典の明記についてでIP:218.227.178.104会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois(BIGLOBE、千葉県)が{{出典の明記}}タグを貼られていることの不満を書いていますが、当方はこれはあなたが書いたものだと考えております。あなたは、ご自分で書いた文章の出典をご自分で示すこともせず、文句は言いながら、他の利用者が苦労して調べて加筆した際に示した出典はちゃっかり戴いて、他の記事に書いたのですね。

私はこのページに伺ったとき、「初めまして」とは言いませんでした。ずっと以前にあなたとお話ししたことがあったからです。利用者名が変わっているためお気付きにならなかったと思いますが、当方が初めて立項した記事に最初に加筆してくれたのがあなたでした。もっとも、当方が翻訳時の履歴継承を怠ったため、あなたが加筆してくれた版は消えていますが。当方はPortal:神話伝承に載せる新着記事を探すのに、あなたの編集履歴を見ていくと見つけやすいと気付いて、しょっちゅう履歴を見ていました。北欧や世界史に詳しい方だと思い、尊敬し、憧れていました。これ以上失望させないで下さい。カテゴリや内部リンクを加除するパズルを昼夜いじって楽しむことは、もうやめて下さい。--Æskja会話2016年3月21日 (月) 13:39 (UTC)返信

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