『檄』(げき)は、三島由紀夫の最後の声明文。1970年(昭和45年)11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内の東部方面総監室を占拠後(三島事件)、バルコニーから演説する際に撒布されたもの。原稿用紙にして9枚ほどの長さの10段落の文章で、B4の紙2枚に三島の肉筆でびっしり書かれている。三島の死後、様々な誌面や三島論で引用されることの多い声明文である。 同書は、当日に市ヶ谷会館にて、ジャーナリストの徳岡孝夫と伊達宗克にも封書に同封されて託された。三島は、徳岡孝夫と伊達宗克へ託した手紙の中で、「同封の檄及び同志の写真は、警察の没収をおそれて、差上げるものですから、何卒うまく隠匿された上、自由に御発表下さい。檄は何卒、何卒、ノー・カットで御発表いただきたく存じます。」と、檄の全文公表を強く希望した。 『檄』は事件の後、朝日新聞で一部分がカットされた以外は新聞各紙に全文掲載されたが、直後にいち早く全文掲載したのは、週刊誌『サンデー毎日』だけだという。 翻訳版は、Harris I. Martin訳(英題:An appeal)により『Solidarity』(1971年8月)、『Japan Interpreter』(1971年7月)に掲載された。

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  • 『檄』(げき)は、三島由紀夫の最後の声明文。1970年(昭和45年)11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内の東部方面総監室を占拠後(三島事件)、バルコニーから演説する際に撒布されたもの。原稿用紙にして9枚ほどの長さの10段落の文章で、B4の紙2枚に三島の肉筆でびっしり書かれている。三島の死後、様々な誌面や三島論で引用されることの多い声明文である。 同書は、当日に市ヶ谷会館にて、ジャーナリストの徳岡孝夫と伊達宗克にも封書に同封されて託された。三島は、徳岡孝夫と伊達宗克へ託した手紙の中で、「同封の檄及び同志の写真は、警察の没収をおそれて、差上げるものですから、何卒うまく隠匿された上、自由に御発表下さい。檄は何卒、何卒、ノー・カットで御発表いただきたく存じます。」と、檄の全文公表を強く希望した。 『檄』は事件の後、朝日新聞で一部分がカットされた以外は新聞各紙に全文掲載されたが、直後にいち早く全文掲載したのは、週刊誌『サンデー毎日』だけだという。 翻訳版は、Harris I. Martin訳(英題:An appeal)により『Solidarity』(1971年8月)、『Japan Interpreter』(1971年7月)に掲載された。 (ja)
  • 『檄』(げき)は、三島由紀夫の最後の声明文。1970年(昭和45年)11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内の東部方面総監室を占拠後(三島事件)、バルコニーから演説する際に撒布されたもの。原稿用紙にして9枚ほどの長さの10段落の文章で、B4の紙2枚に三島の肉筆でびっしり書かれている。三島の死後、様々な誌面や三島論で引用されることの多い声明文である。 同書は、当日に市ヶ谷会館にて、ジャーナリストの徳岡孝夫と伊達宗克にも封書に同封されて託された。三島は、徳岡孝夫と伊達宗克へ託した手紙の中で、「同封の檄及び同志の写真は、警察の没収をおそれて、差上げるものですから、何卒うまく隠匿された上、自由に御発表下さい。檄は何卒、何卒、ノー・カットで御発表いただきたく存じます。」と、檄の全文公表を強く希望した。 『檄』は事件の後、朝日新聞で一部分がカットされた以外は新聞各紙に全文掲載されたが、直後にいち早く全文掲載したのは、週刊誌『サンデー毎日』だけだという。 翻訳版は、Harris I. Martin訳(英題:An appeal)により『Solidarity』(1971年8月)、『Japan Interpreter』(1971年7月)に掲載された。 (ja)
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  • 『檄』(げき)は、三島由紀夫の最後の声明文。1970年(昭和45年)11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内の東部方面総監室を占拠後(三島事件)、バルコニーから演説する際に撒布されたもの。原稿用紙にして9枚ほどの長さの10段落の文章で、B4の紙2枚に三島の肉筆でびっしり書かれている。三島の死後、様々な誌面や三島論で引用されることの多い声明文である。 同書は、当日に市ヶ谷会館にて、ジャーナリストの徳岡孝夫と伊達宗克にも封書に同封されて託された。三島は、徳岡孝夫と伊達宗克へ託した手紙の中で、「同封の檄及び同志の写真は、警察の没収をおそれて、差上げるものですから、何卒うまく隠匿された上、自由に御発表下さい。檄は何卒、何卒、ノー・カットで御発表いただきたく存じます。」と、檄の全文公表を強く希望した。 『檄』は事件の後、朝日新聞で一部分がカットされた以外は新聞各紙に全文掲載されたが、直後にいち早く全文掲載したのは、週刊誌『サンデー毎日』だけだという。 翻訳版は、Harris I. Martin訳(英題:An appeal)により『Solidarity』(1971年8月)、『Japan Interpreter』(1971年7月)に掲載された。 (ja)
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