九鬼澄隆

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将

九鬼 澄隆(くき すみたか、? - 天正12年11月23日1584年12月24日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将九鬼氏の第10代当主。九鬼嘉隆の甥にあたる。

略歴

編集

第6代当主・九鬼浄隆の子として生まれる。幼名は弥五郎。永禄3年(1560年)に父が死去したため、家督を継いで第7代当主となるが、幼少のために叔父の嘉隆の補佐を受けた。しかしこのため、志摩7党の攻撃がますます激しくなり、居城の田城では遂に防戦できず、嘉隆と共に朝熊岳に逃亡した。

その後、叔父の嘉隆は織田信長に仕え、信長に従って志摩7党を操っていた北畠具教を破ったため、再び田城に戻った。しかし叔父の嘉隆が信長のもとで頭角を現したため、九鬼氏の実権は嘉隆に握られ、澄隆は傀儡の当主に等しくなる。

天正12年(1584年)11月23日、田城で死去した[1]。後を叔父の嘉隆が継いだ。なお、死因は病死とされているが、一説に嘉隆が家督を奪い取るために澄隆を毒殺したとされている。

脚注

編集
  1. ^ 死亡時期については1582年、1583年など異説も複数ある

関連項目

編集
pFad - Phonifier reborn

Pfad - The Proxy pFad of © 2024 Garber Painting. All rights reserved.

Note: This service is not intended for secure transactions such as banking, social media, email, or purchasing. Use at your own risk. We assume no liability whatsoever for broken pages.


Alternative Proxies:

Alternative Proxy

pFad Proxy

pFad v3 Proxy

pFad v4 Proxy