旧ソ連極東地域で生まれたはずの金正日(キム・ジョンイル)の生誕地をめぐって、北朝鮮編纂(へんさん)の伝記『人民の指導者 金正日書記』に、母、金正淑(ジョンスク)とのこんなやり取りが描かれている。
父の故郷、平壌郊外の万景台(マンギョンデ)に向かう支度をしている母親に、正日少年はこう尋ねたという。
「お母さん、僕の故郷はどこ?」
思いがけない質問にしばらく黙っていた正淑は「あなたの故郷が白頭山(ペクトゥサン)ではなく、どこだと思っているの」と真顔で聞き返した。
「あなたの故郷は朝鮮で一番高い白頭山ですよ。白頭山には、天池があって、お父さんが、日本軍を散々な目にあわせたところです。あなたも大きくなったら行ってみなさい」
丸太小屋“復元”
前後の文脈からすると、金正日が小学校低学年のときの会話とされる。白頭山は朝鮮民族の始祖に位置付けられる檀君が生まれた地とされ、神聖視されてきた。伝記はこう続ける。
《幼い正日はこのときから白頭山を懐かしみ、学習帳には決まって「白頭山」という3文字を書き込み、いつも白頭山にそびえる将軍峰と天池を描いた》
正日少年が描いたとする将軍峰の高さは216メートル、その麓から42メートル離れた場所には丸太小屋があった。「1942年2月16日」、正日はこの丸太小屋で生を受けたと北朝鮮は主張する。後の最高指導者は、幼少時の思い出さえ、やすやすと書き換えられたのだ。
97年に韓国に亡命した黄長●(=火へんに華)(ファン・ジャンヨプ)元朝鮮労働党書記によると、正日の「生誕地」を探し当てたのは、金日成(イルソン)だった。
日成は、抗日パルチザン出身者を呼び付け、息子が生まれた白頭山密営(キャンプ)を探し出せと指示した。彼らは、もとから存在などしない密営地を探すことができなかった。「日成は『私が探す』と直接、出向き、景色も適当で、位置もそれらしい場所に着いてここだと指摘した」(『黄長●(=火へんに華)回顧録 金正日への宣戦布告』)
その場に丸太小屋を復元したのは87年。翌年には、将軍峰の名称を「正日峰」と変え、216トンの巨大な花崗(かこう)岩に「正日峰」と刻み、山肌にはめ込んだ。
ただ、80年代初めごろまで、北朝鮮の公式文献は、「(正日は)硝煙けむる抗日の戦場で誕生した」と記し、どこかについては触れていない。「白頭山で誕生した」という神話を唱え出したのは、83年以降だ。正日による実権掌握の過程で用意されたストーリーだった。
「麻薬密売人」
金正日の生誕地については、あからさまな改竄(かいざん)が行われたが、先祖に関しては、それなりに客観的といえる資料も残されている。